賤ケ岳七本槍の一人として豊臣秀吉に仕え、関ケ原の戦い後には肥後国一国を与えられて熊本藩主となった加藤清正▼築城の名手ともいわれ、治山治水や新田開発にも手腕を発揮した。その功績は現在でも「せいしょこさんのさしたこつ(清正公のなさったこと)」として地元に語り継がれている▼先週、今回の地震で甚大な被害を受けた熊本に取材に入った。市内から車で30分ほどの距離にある益城町は、相次ぐ揺れで多くの家屋やインフラが損壊。それを写真に撮りながら、その場で何もできない自分が無力で情けなく思えてならなかった▼熊本市内から空港に戻る時、現地を案内してくれたタクシーの運転手さんから「どうしても見てほしい」と頼まれ、ある農業遺産に立ち寄った。それは「鼻ぐり井手」と呼ばれる用水路。今から400年ほど前に清正が造ったものという▼当時の人たちが堅い岩盤をのみで彫り込み、下部に穴が開いた仕切り壁を水路に造り上げた。訪れる人は決して多くない用水路に案内してくれた運転手さんはきっと、清正の魂は今も熊本の至る所に残っていると教えたかったのだろう。
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