地域に誇れる仕事は地道な作業の反復でもある |
誰かのためになる仕事ができて初めて一人前-。こうした熱意を胸に、日々の施工管理で全力を尽くしている土木技術者が11年3月の東日本大震災で被災した東北地方の復旧・復興事業の現場にいる。
大手ゼネコンに勤める鈴木一さん(仮名)は、大津波に襲われた太平洋沿岸のインフラの復旧工事を指揮する作業所長を会社が募った時、迷わず手を挙げた。
1995年の阪神大震災では、高速道路などの復旧に携わった経験がある。海外事業でアフリカのインフラプロジェクトを任された実績も持ち、国内外の第一線で活躍してきたと自負している。「技術者が必要とされ、そこへ行く機会まで用意されれば、働く場所など関係ない」
被災自治体から請け負った復旧工事の仕様書には、施工を進めながら受注者側が詳細な設計を詰めていくことが明記されており、最新の施工技術を活用した工期・工費の抑制が期待されていることは十分理解していた。津波で消失した市街地を目の当たりにした時は思わず胸が詰まったが、現場に立てば、大役を果たそうと、自然と冷静な技術者の目に変わった。
着工したのは13年。肉体的にも精神的にも最もつらかったのは最初の5カ月だ。「宿舎は湾岸から70キロ以上離れた内陸に借りなければならなかった。朝の6時45分から夕方の5時まで作業をした後、帰宅のため、車を1時間以上も運転するのは負担だった」。現場付近に仮設の宿舎ができるまでは、環境に「慣れる」ことで疲労の蓄積を和らげるしかなかった。
工事の期限は12月。初めて被災地に入った時は、これから直すインフラの将来形をイメージすることすら難しかった。今では、確かな完成形を作業員らと共有し、残りの工期を無事故・無災害で全うすることに心血を注いでいる。
長かった現場の終わりが見えてきた今、これまでを振り返り、「続けてきてよかったと思える取り組みがある」。現場の見学や視察の要望があれば、民間から行政まで積極的に受け入れてきたことだ。
被災地にいると、豊富な経験と一流の知識・技能を兼ね備えた技術者や職人たちが、復旧工事の進ちょくを支えていることがよく分かる。何をもって復旧・復興が進んでいると見るかは人によってさまざまだが、「多くの人が力を合わせ、一生懸命いいものを造っていることを胸を張ってアピールしたい」と思った。現場の見せ方は、構造物の概成が近づくにつれて変化。「市民に見られている」のではなく、「自分から見せる」との前向きな姿勢を作業員らとともに心掛け、実践してきている。
現場のことは自分が先頭に立てばどうにかなる。目が行き届かないのが離れて暮らす家族のことだ。特に大学生と高校生の子ども2人の様子は気に掛かる。東北の被災地から中国地方の自宅まで片道だけで数時間も要することを考えると、家族との会話は電話で済ませてしまうことの方が多いが、「子どもたちの行事がある時は、なるべく帰るようにしている」と父親の顔をのぞかせる。
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