◇一流を目指してこそ面白い◇
入社して最初は大阪支店で設計を担当しました。小規模な橋梁の構造一般図を半日ほどで描き、それから数量を拾うという日々でした。初めて描いた橋の図面は、寮の部屋の天井にしばらく張っていました。当時の図面は青焼きですから、日がたつとだんだんと色がくすんでいったのが思い出されます。
入社して2、3年ほどたった頃、上司の課長と設計の考え方で大議論になったことがありました。私が描いた図面を見た課長から「これでは駄目だ」と言われたのが始まりです。力学的なことに加え、締め固めのしやすさなど施工性をめぐっての議論でした。どちらの考え方も間違いではないのですが、お互いに引かず、夜8時ごろからの議論は一緒に終電に乗るまで続きました。
結局、この議論は課長が「上司と部下が3時間も議論して引き分けなら上司の勝ちだ」と言ったことで終わります。ボクシングのタイトルマッチでも判定がドローならチャンピオンの勝ちです。それなら「部下は上司を説得できなければ負け」と私も素直に納得しました。それにしても粘り強い方でした。でも、すぐに言われた通りに図面を描き直すよりは、そうした議論を通じて技術、知識の面でも鍛えられたと思っています。
その後に現場、設計の担当を何度か繰り返し、大型プロジェクトである本州四国連絡橋櫃石島高架橋PC上部工工事の設計室に配属となりました。4社JVでの設計でした。28歳の頃で、こうした機会を与えてもらえたことがうれしかったものです。各構成会社から来た人たちには同世代が多かったため、良い交流もさせていただきました。
このプロジェクトでは現場に出て施工管理も担当し、竣工まで携わることができました。難易度の高い工事でしたが、技術者としてさまざまなことを勉強できました。私にとって技術の原点はここにあると言っても過言ではありません。
これまでの社歴では、ドイツの会社に留学したのも貴重な経験となっています。自分で一生懸命にやった仕事というのは印象に残り、出来上がった時の満足度も高いものです。設計や施工、経理などの仕事でもやればやるほど奥が深いはず。高いところを目指して努力するほど仕事は面白くなります。いい加減にやったことは面白くありません。
若い人たちには、結果は分からないけれど、とにかく一流を目指して頑張ってやってほしいと思います。そうすれば次の疑問が出てきて興味も湧き、自分を成長させることができます。
(もり・たくや)1979年京大工学部交通土木工学科卒、ピー・エス・コンクリート(現ピーエス三菱)入社。執行役員名古屋支店長、取締役執行役員技術本部長、取締役常務執行役員、取締役副社長執行役員などを経て、16年6月から現職。愛知県出身、60歳。
自分にとって「技術の原点」と振り返る橋梁工事の現場で |
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