仕事のやりがいを見いだすのは自分自身 |
1997年の入社以来、電気工事の技術者として現場一筋で仕事に打ち込んできた平田真澄さん(仮名)。入社から20年目を迎え、今は後進を育てるのも仕事の一つ。「入社当時の自分と同じように、後輩たちにも仕事へのやりがいを感じてほしい」と話す。
大学を卒業後、地元の兵庫県で飲食店に就職した。しかし、仕事へのやりがいを見いだせずに退職。はっきりとした目的もなく、毎日を無為に過ごしていた。そんな時、阪神大震災(95年1月)が起きた。
平田さんの暮らす地域では送電線が切れ、しばらくの間、停電が続いた。当時の光景が、今でも目に焼き付いている。そこで目にしたのは、電力復旧に向け、高所で懸命に送電線の復旧作業をする人たちの姿だった。
住民のために危険を顧みずに作業する姿を見て、「この仕事ならやりがいを感じられる。今なら失うものは何もない」と強く思った。電気工事の業界へ進むことを決意した瞬間だった。
大学は経済学部を出たため、電気工事に関してはまったくの素人。専門学校で一から学ぼうと、一念発起して上京した。「初めてのことばかり。覚えることも多くて苦労した。でも資格を取れば、周りの人や社会に貢献する仕事ができるようになる。そう思うと、わくわくして毎日が充実感にあふれていた」。昼間はアルバイト、夜は学校通いという生活を1年間続け、卒業とともに電気工事士の資格を取得。現在の会社に入った。
入社後すぐに東京の現場に配属された。そこで腕を磨くうちに、技能競技大会で好成績を収めるまでに腕が上がり、自信と誇りを持てるようになった。そんな矢先の2009年、茨城県の支店へ転勤を命じられた。
新しい職場の環境にも慣れてきた11年3月11日、東日本大震災が起きた。担当するエリアは送電線の被害が大きかった。現地で被害状況を目の当たりにした時、転職のきっかけとなったあの阪神大震災の光景が重なった。
「この様子だと復旧には相当の時間がかかる。しばらくは家に帰れない」。そう覚悟した通り、復旧作業は難航した。ようやく復旧のめどが付き、一時帰宅できた時には、震災発生から既に5日がたっていた。その間、ほとんど不眠不休で対応に追われたが、「地域の人たちの役に立っているということが実感できた」。それが何よりの支えになった。
ゼロから電気工事の仕事を学んで20年余。今では若手を育てる立場にもなった。「技術には自信があったが、一人の力には限界があるとも感じた。仲間がいることが何より力になる」。震災を経験し、人材育成の大切さを痛感したという。「1年も持たずに飲食店の仕事を辞めた自分が、この仕事を20年も続けていられるのは、やりがいを感じ続けているから」。これまでの仕事を振り返った時にそう思う。「若手を定着させるには、まずはやりがいを感じさせなければ」。
「自分の技術を越える人材を増やすことが、今の一番のやりがい」とも。阪神大震災の被災地で見た作業員に自分が憧れたように、「誰かが自分の姿を見てこの業界に入ってくれればうれしい」。きょうも先頭に立って現場を引っ張っている。
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