2016年10月24日月曜日

【駆け出しの頃】ナカノフドー建設執行役員東北支社長・赤坂頼義氏

 ◇努力と心配りで時を待つ◇

 人生を舵(かじ)取りしてくれた言葉が二つあります。最初の言葉は高校2年生の時。サッカークラブでゴールキーパーだった私は手首を骨折し、二度と運動はできないと診断されたことがありました。がくぜんとする私を「まだ1年ある。手を動かす努力をせよ、また時が過ぎるから」と励ましてくれたのがクラブの部長でした。そのおかげでクラブにマネジャーとしてとどまり、リハビリを続けて回復することができました。

 就職の助言をしてくれたのもこの方でした。全国を渡り歩く橋梁とびで、私に跡を継がせたかった父を「立派な現場監督になる」と説得し、中野組(当時)への就職も薦めてくれたのです。社員教育をモットーにした会社であるというのが理由でした。

 入社して1年は本社の現場で過ごします。その後に東北勤務となり、会津から八戸まで各地の作業所を回りました。会津の水力発電所管理棟建設では、作業所まで電気が通っていなかったため、一日の勤務を終えると午後8時にはもう消灯でした。飯坂温泉(福島)の現場では宿舎が置き屋さんで、工程の打ち合わせと言いながら職人さんが毎日来ては宴会を始めてしまいます。これには困りましたが、職人さんからは、事前に代表を決めておき、工程内での納め方を話し合うという打ち合わせの仕方を教えられ、予定工期より早く落成を見ることができました。

 それでもここまでの現場は学ぶことに夢中で、知識と技術を身に付けながらも、肝心なところに気付いていなかったと思います。それが、宮城県塩釜市での郵便局地下工事で聞かされた二つ目の言葉につながります。

 初めて外周部の山留め工法にSMWを採用し、山留め支保工にはアイランドカット工法を用いた工事でチーフを担当しました。この施工中にアイランドの土の残量が気掛かりでならないでいると、上司から「心配と書いて『心を配る』」と言われました。心配、心配と口ずさみながら毎日現場を見て歩けという教えです。私の技術屋暮らしに本当の意味で魂が宿った瞬間でした。

 こうした経験は八戸営業所で最後の現場を担当した時にも生かせました。施主からの「うちと比べて工事が進んでいるよそより早く竣工させてほしい」という要望に応えるため、協力業者と知恵を絞っていろいろと工夫し、結果を残せました。これが後に営業所が北東北支店に昇格するきっかけとなります。

 建設の仕事は楽しく、人間関係の表れる場でもあります。まさに和をもって仕事をすることが大切です。努力を重ね、心を配り、時を待つことで、チャンスは誰にも訪れます。

 (あかさか・よりちか)1973年青森工業高校建築科卒、中野組(現ナカノフドー建設)入社。東北支店八戸営業所長、東北支社副支社長、東京本店北海道支店長、東北支社長を経て15年4月から現職。青森県出身、61歳。

現場では「和を持って仕事をする」大切さを学んだ
(右側が本人)

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