現場を支える職人のひと言が改善につながる |
東京都内で左官業を営む後藤昇さん(仮名)。高校卒業後に職人仕事に憧れて左官業界に飛び込んだ。腕利きの職人がいると聞けば日参し、自身の腕を黙々と磨いた。22歳で起業。今年で40歳になる。面倒見の良さもあって多くの若い職人が集まってくる。
最初の頃は、「皆の技量を磨げば仕事は来る」と毎日の仕事を終えてから若手の指導に力を注いだ。ところが、そのうちに元請から「仕事は悪くないんだが…」と次の発注で口を濁されることが多くなった。若手が行っている現場に様子を見に行ってがくぜんとした。口下手で無口、コミュニケーションが苦手という一般の人々が職人に抱くイメージをそのまま現場に持ち込んでいたからだ。「自分も人前に立つことが怖くて、ずっと逃げてきた。元請、現場に顔を出すクライアント、仲間にも最低限の話しかしていなかった」と振り返る。
職人は腕一本で食べることができる世界というが、仕事を取る営業は左官の腕とはまた違う。「きちんとコミュニケーションを取れることがいかに大事か、痛感した」。
自分を変えようと考え、人前で話す場に100回立とうと決意。それを皆の前で表明した。何を話してよいかも分からない自分を奮い立たせ、元請やクライアントに声を掛け続けた。若手や仲間には「いい腕を持っていても、顧客から信頼や喜びの声を聞かなければ意味はない。本当に良いものを作る人は伝えることもできる」と熱く説いた。
そんなある日、一から仕事を教えてくれた先輩が亡くなった。現場に顔を出さない先輩を訪ねてアパートへ行くと、ふとんを握りしめて一人で亡くなっていた。その姿を見て動けなくなった。「何でこうなってしまうんだ。年金も保険もない。病気になっても現場に来て働くしかない。そんな現実が怖くて震え上がり、この現実を記憶の隅に葬り去ろう」との思いが頭をよぎった。
そんな気持ちを断ち切らせたのは「自分のためではなく、相手のために自分が何をできるかを先に考えろ」という先輩の言葉だった。多くの若者をこの業界に集めてきた。若い職人は結婚し、子どもを授かり、家族も増えた。もう逃げるわけにはいかない。
この業界には人を大切にする会社もあれば、そうでない会社もある。自身や会社のことだけでなく、「業界の地位向上を目指し、最後まで生きがい、働きがいを持てる環境をつくろう」と変革を訴えた。しかし、呼び掛けても振り向いてくれる人は少なかった。折れそうな心を支えたのは「伝えることができる」と説いた若者たちだった。「職人のことを本気で思い、建設業の未来を考える人と出会ったと声を上げてくれた」。
今は国が動いて社会保険加入の促進策も進む。それでも職人の働く環境にはまだまだ改善の余地が多い。「職人だから学ばなくていいのではなく、職人だからこそ学び続けなければいけない」と最近、現場で若者が発する言葉に力強さを感じている。業界が変わり、たくさんの笑顔と幸せを生み出す未来を信じ、誇りある仕事をしようと思っている。
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