2017年2月27日月曜日

【駆け出しのころ】長谷工コーポレーション常務執行役員・村川俊之氏

 ◇粘り強く最後まで諦めない◇

 東京・杉並の中学校に通っていたころ、校舎の建て替え工事が行われていました。ここで初めて見た現場監督さんを「かっこいい」と思ったものです。この時はまだ、建築の道に進みたいとは考えていませんでしたが、高校2年生になって大学の建築学科に入ろうと決めました。

 入社して最初に研修で行った現場が都内の14階建てマンション建築工事です。竣工3カ月ぐらい前の時期で、現場はかなり忙しかったのですが、いきなり一線で仕事ができるわけでもなく、新人の役割と言えば片付けを行うことぐらい。

 現場で先輩から「そこを片付けておけよ」と言われても、最初は何が必要で何が不要かも分かりません。このため置いてあったものをみんな捨ててしまったことがありました。すると翌朝、とび職の方が来て「俺の作業着がない、帰るぞ」と大騒ぎになり、「すいません、捨てました」と謝るしかなかったのを覚えています。

 ここでの楽しみは、夜に銭湯を出てから、先輩に飲ませてもらえる一杯のビールでした。実を言うと、私たちはこの銭湯にただで入っていました。現場から出る木くずを燃料として持って行く代わりに、他のお客さんがいなくなる夜11時過ぎに入浴させてもらっていたのです。当時の楽しかった思い出の一つです。

 次の建築現場は、埼玉県内の10階建てマンション工事です。ようやく片付けから解放されたこともあり、仕事が楽しくて仕方ありませんでした。施工図も書かせてもらいました。現場で疑問に思ったことなどは野帳に書き込み、後で先輩に聞いたり、自分で調べたりして確認する。これがとてもいい勉強になり、先輩や職人さんたちとのコミュニケーションも取れるようになっていきました。

 この野帳は月に1冊のペースで増え、現場が終わるまでには10冊ほどになっていたでしょうか。自分の貴重な財産となり、次の現場に異動する時も段ボールに入れて持っていきました。

 入社4年目に、社内で一番恐ろしい所長と言われていた方の現場を担当しました。正論で指摘される厳しい方でしたが、いろいろなことを教えていただき、この時の経験が後に自分の精神的な面に役立ってきたのかもしれません。

 うちの先輩たちや上司は怖く、厳しい人ばかりですが、ものすごく人間として温かく、先に導いてくれる時は何とも言えない優しい目をされます。JV構成会社の一員として施工に携わった時など、外から見ると、そうした会社と人の良さが改めてよく分かります。

 そして粘り強く最後まで諦めない。これが社員のDNAです。これからも大切に引き継いでいかなければならないと思っています。

 (むらかわ・としゆき)1980年日大理工学部卒、長谷川工務店(現長谷工コーポレーション)入社。建築2部副技監、建築4部所長、第三施工統括部建設3部長、第三施工統括部長、執行役員などを経て、14年から現職。東京都出身、59歳。

竣工したマンションの広場で。
入社2年目の頃、遊具に乗って記念撮影した1枚
(左端が本人)

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