◇地元に溶け込む大切さを知る◇
就職活動で大学の教授から紹介していただいた前田建設を訪問した時、他大学の学生は既に2回、3回と来ているのを知りました。九州から出てきた私は「これは難しいか」と思いましたが、人事担当の方に「遠いところから来たので他に聞くことはありませんか」と温かい言葉を掛けてもらい、「良い会社だな」と感じて入社試験を受けました。
最初に配属されたのは沖縄・石垣島のダム建設工事です。赴任先が決まり、会社に「何を持っていけばいいですか」と聞いたのですが、「何も持っていかなくていい」とのこと。そうして飛行機のチケットだけ渡されました。不安のまま石垣空港に着くと、作業着の腰に手拭いを下げ、地下足袋を履いた先輩が迎えに来ておられました。正直に言って「これはすごい所に来たな」というのが感想でした。
現場は山の中にあり、沢を流れる水が私たちの生活用水でした。雨で沢の水が濁ると、コーヒーのような色をした風呂に入っていた記憶があります。ダム工事のことをよく学べた現場でしたが、水には苦労しました。
この現場で初めて担当したのは土質試験です。試験室にこもり、汗だくになって試験を行っていました。ある日、試験結果の数値が悪かったため、上司に「この土はまずいのではないでしょうか」と報告したんです。新人ですから「やり方が間違っているのではないか」などと言われるかと考えていたところ、この方は「そうか」と信用してすぐに受け入れてくれました。改めて試験を一緒にやっていただき、新しい土取り場を探すことにつながるのですが、自分のやっていることが実際に生かされたと実感できた時でした。
石垣島にいた4年間で私は地元の言葉で地元の方々と話せるようになっていました。異動が決まり先輩と二人で島を離れる日のことです。空港に発注者や協力会社、地元の方々が見送りに来てくれました。「さようなら」と書かれた横断幕があり、花束まで頂きました。うれしくもさみしくもあり、飛行機に乗ってから泣いてしまいました。地元に溶け込み、一生懸命に仕事をすれば、そうしたことまでしていただける。駆け出しのころに学んだ大切なことです。
49歳まで現場で施工を担当し、その間の3分の2ほどを山岳トンネルが占めます。若手のころに上司から聞いた「『足立さん、足立さん』と言って協力会社の人が来てくれるのは、足立さんが偉いわけではなく、前田建設の足立さんだから。勘違いしてはいけない」という言葉を、これまで忘れずにやって来ました。自分も同じことを若い人たちによく言っています。
(あだち ひろみ)1978年宮崎大工学部土木工学科卒、前田建設入社。九州支店新幹線紫尾作業所長、九州支店副支店長、本店土木部長、執行役員土木事業本部副本部長、取締役常務執行役員土木事業本部長などを経て、15年から現職。大分県出身、61歳。
トンネルの工事現場でお子さん二人と。 娘さんは自分の結婚式でこの写真を紹介した |
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