◇厳しい経験こそノウハウに◇
小さいころは体が弱く、小学校では毎学期に1回は休んでいました。でも、ある年に休まず通学できた学期があり、先生から褒めてもらったのがとても嬉しかったことを思い出します。そうした少年時代だったので、いずれは医者になりたいと思っていたのですが、高校生の時に、世の中に残る仕事ができる建築・土木を学ぼうと考えるようになりました。
私が入社した年は、新入社員が170人ほどいました。研修を終えて配属されたのは関東支店の現場です。地下にシールド工法で放水路を造る現場で、土かぶりが浅く、急曲線部もある難しい工事でした。
ここで私が最初に担当したのは、工事の影響で地上の路面に変化がないかを確認する見回りです。夜に懐中電灯を照らしながら歩いていると、家から住民が出てこられて「どうしたの、落とし物でもしたの?」と声を掛けられたこともありました。こちらからの発信も足りなかったのでしょうが、私たち工事関係者が夜も安全のために近隣を見回っていることを分かっていただけていなかったようで、少しさみしい気持ちにもなりました。
しばらくすると、現場の主任からシールドが到達する立坑の工事を任せてもらいました。この時に学んだことは多く、新人によくこうしたチャンスを与えていただいたと、今でも感謝しています。
その後、スキー場を建設する工事などを担当します。そうして現場に勤務して数年たち、実行予算のことなども勉強させてもらうと、早く所長になりたいと思うようになっていました。
担当していた現場が終わりに近づいていたある日のことです。工事部長から電話が入り、いよいよどこかの現場で所長をやらせていただけるかもしれないと、少し期待して受話器を取りました。ですが、部長に言われたのは、予想もしていなかった「営業に行ってくれ」でした。こうして営業を担当することになりましたから、私には若いころに現場と営業の二つの「駆け出しのころ」があります。
営業に移って数年後、自社開発した住宅団地の販売に携わりました。私が開発営業を好きになったきっかけの事業でもあり、この時に勉強させてもらったことが今でも大きな糧になっています。
仕事では厳しい経験こそ、自分のノウハウとして蓄積され、その後もいろいろな場面で物事の判断に生かされていくものです。今の立場では、危なくない方向へとジャッジしてしまうのですが、若い人たちにそうした経験を伝承していかなければと思っています。
(うえくさ・ひろし)1983年早大理工学部土木工学科卒、戸田建設入社。関東支店土木営業部長、同支店次長、執行役員東京支店副店長、常務執行役員本社土木営業統轄部長などを経て、2014年6月から現職。東京都出身、55歳。
現場勤務から営業担当に。 関東支店の運動会での1枚 |
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