2016年7月4日月曜日

【駆け出しのころ】福田組取締役執行役員建築部長・相馬良一氏


 ◇興味を持ってこそ伸びる◇

 親が木造大工でしたので、将来は家業を継ごうと建築系の工業高校に進みました。卒業する時、親はすぐにも継いでほしいと期待していたようですが、ゼネコンの仕事を経験したいと思い、地元である新潟県内の福田組に入社しました。

 20人近い建築の新人は同じ病院建設の現場に配属となりました。それだけの新人を受け入れるためにプレハブを増築するなど、現場の所長は大変だったのではないかと思います。

 ここで新人は型枠班や鉄筋班など担当工種ごとに分かれ、それぞれの先輩に付いて指導を受けました。私は鉄筋班です。主に鉄筋工事の写真撮影や検査記録の整備などを行い、工程が進んで仕上げも始まると、タイル工事の墨出しなども任せてもらいました。

 覚えることは多かったのですが、同じ現場に同期の仲間たちがいたので、気持ちの面では楽だったと記憶しています。先輩からは、現場の職員として働くには歩掛かりが大事であり、自分で数量を調べる癖を付けるよう言われて勉強しました。

 次に担当したのは旅館建築工事で、実家から通える現場でした。この工事が終わり、年末の12月26日に本社へあいさつに行った時のことです。

 異動するにしても正月に休んでからと思っていたら、「あすから東京に」との指示でした。これには「えっ」と驚きましたが、近くにいらした部長に「正月明けでいい」と言っていただいて助かりました。

 そうして異動し、東京支店の現場に6年間勤務しました。東京の生活に慣れ、地元に戻る意識も薄れていたのですが、帰省するたびに親からは結婚を催促されていました。27歳になり、新潟での仕事のやり方を知っておかなければいけないと考え、会社にお願いして新潟に戻りました。それから38歳まで新潟の現場を渡り歩いた後、広島支店の勤務なども経験しました。

 会社で若い人たちには、言われたことだけをやるのではなく、自分の思った通りにやるよう言っています。出来上がったものは一緒であっても、それまでの過程は異なります。でも、やりたいようにやるには基礎知識がなくてはいけない。そこを大事にしてほしいと思っています。

 建築の雑誌を購読するなど、自分の仕事に興味を持ち続けることも大切です。興味がなくては成長できません。私も先輩から同じことを言われてきました。興味を持ち、基礎知識を付けてやりたいようにやればおのずと伸びていくものです。建設業が将来にわたって魅力ある産業であることも自身の行動で示せるよう頑張ってほしいです。

20代のころ、現場事務所で
 (そうま・りょういち)1974年新発田商工高建築科卒、福田組入社。中越支店建築部次長、東京本店建築部工事部長、新潟建築事業部建築工事部長、東京本店建築部統括部長、理事東京本店建築部長などを経て15年から現職。新潟県出身、60歳。

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