2016年5月23日月曜日

【駆け出しのころ】大豊建設取締役専務執行役員建築本部長・村田茂樹氏

 ◇すべての仕事に意味はある◇

 小学生のころ、近所で住宅の棟上げ式があると、屋根の上からお祝いの餅や小銭をまく棟梁の姿がとても輝いて格好良く見えたものです。また東京五輪が開かれ、テレビに映る競技場や首都高速道路などの建造物を見て自分もこうしたものづくりに従事したいと思うようになり、建設業の道に進みました。

 入社して最初に赴任したのは埼玉県内の工場建設現場です。場内に現場事務所と宿舎があり、所員は寝起きを共にする生活でした。新人の仕事は、朝一番に事務所を掃除することから始まります。最初のころに私の掃除が十分でなかった時、先輩が無言で掃除をやり始めて手本を見せて下さったこともありました。

 この数日後、先輩に誘われた食事の場で、現場事務所というのは施主や設計事務所、取引業者などいろんな方々が来られるところであり、「現場の顔なんだ」と叱咤(しった)された思い出があります。でも、その帰り道には先輩が笑いながら「俺たちも同じ道を歩んできたんだ」と言って励ましてもくれました。

 当時は施工図を現場で作成していました。昼間は現場に出て管理し、合間に作図するのですが、ほとんどは夜の仕事となります。先輩が作図している間、私の仕事は日報の作成や伝票整理などといったものでした。

 半年ほどたったころ、事務所で施工図の書き方の本を読んでいると、先輩が「書いてみるか」と声を掛けて下さり、喜びと不安の中で書き始めました。塔屋の図面だったのですが、X、Y軸の線を引いただけでなかなか進められません。2、3日たっても作図できないでいると、「分からなければ聞くように。これでは現場が進まない」と先輩が怒りながらも横に座って指導してくれました。次の現場でも同じ先輩とご一緒でき、いろいろなことを教えていただきました。

 同期とは「早く所長になりたい」とよく話しながら、ライバル意識を燃やしていました。初めて所長を任されたのは33歳の時です。緊張とやりがいを持ち、気楽に意見が言える風通しの良い現場運営を行ってきたつもりですが、配慮が足りなかった部分もあったかもしれません。

 最初のころは何をやるにも不安ですが、分からないことは先輩に相談することです。

 仕事をやっていく中ではつまらないと思うようなこともあるでしょう。でも、すべての仕事に意味はあり、将来につながっていくものです。若い人たちには将来の目標をつくり、そして競争心を持ってほしいと思います。皆にチャンスはあります。

 (むらた・しげき)1971年大豊建設入社。作業所長、大阪支店建築部長、執行役員大阪支店副支店長、取締役常務執行役員東京支店副支店長、取締役常務執行役員建築本部副本部長などを経て14年から現職。鹿児島県出身、63歳。

入社後、初めて赴任した建築現場での一枚

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