◇「教わる」と「教える」を楽しむ◇
故郷は新潟です。小さいころから魚釣りや海に潜ることが好きだったため、いずれは海に関わる仕事がしたいと思っていました。こうした海への憧れが大学で海洋土木を学んだ理由です。そして地元新潟の会社で港湾事業に力を入れていて、専攻した海洋土木の知識が生かせる本間組の港湾部を希望し、入社しました。
入社した当時はまず、新潟東港地区にあった会社の大きな事務所に泊まり込んで研修を受けました。測量実習などを終えて最初に配属されたのは、当時の港湾部が抱える最大規模の工事だった酒田港北地区防波堤築造工事でした。
ここでの日課は、早朝に職員がそれぞれ海の状況を見に行き、その日の作業が行えるかどうかを確認することです。事務所と海岸の往復に車を使う人もいましたが、私は愛車のスーパーカブを利用していました。新人なので海を見てもよく分からず、自分では大丈夫と思っても先輩が違う判断をすることもよくありました。一見すると静かな海でも、先輩方は防波堤に波がどうぶつかっているのかまで見て判断されていたのです。いい勉強になりました。
続いて新潟東港地区に新設される東北電力東新潟火力発電所の建設工事を担当します。ここで初めて設計も手掛けました。入社3年目のころで、発電所構内の連絡橋を自分で設計・施工したのです。この橋が完成して初めて大型車両を通した時、何となく不思議な気持ちになったのを覚えています。
測量や設計、施工での数値は自分を助けてくれるものですが、その確認を怠るなど手を抜くと痛い目に会うという怖さもあります。例えば測量した数値でもすぐに信用してはいけない。それをどうやって確認するか自分で試行錯誤せよと、先輩方から口を酸っぱくして言われたものです。
入社から二つの工事に携わった10年間で、施工を取り巻くツールはすべて数値に裏打ちされた機能を持っていることが分かりました。先輩方にも恵まれ、技術者として一番にいろいろなものを吸収できた10年間でもありました。現在も設計や施工などのことで相談に乗るときは、機能と数値の両面を念頭に置いて進めています。
私の場合、入社から20年間に得た知識の7割ほどは社内外の方から教えていただいたものです。それは今も変わらず、5割ほどは教えてもらっている状況が続いています。若い人たちには、人に教わる、教える楽しみを味わいながらさまざまな経験を積んでほしいと思います。
(かんだ・まもる)1973年東海大海洋学部海洋土木工学科卒、本間組入社。土木本部第一部工事課長、同技術部次長、同技術部長兼技術開発研究室長、常務執行役員エンジニアリング企画部長などを経て、11年6月から現職。新潟県出身、65歳。
技術者として多くのことを吸収した火力発電所の現場で(左端) |
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