今の仕事に疑問を持ち、新たな人生を模索する人も |
国家公務員試験で最難関とされる総合職(旧I種)試験に合格し、霞が関の中央官庁に入った人を指す通称「キャリア官僚」。
中央官庁で事務官として働く伊藤光さん(仮名)は、間もなく40歳を迎えるのを前に、多くの人がうらやむこのキャリア官僚の肩書を捨てるかどうか、迷っている。40歳といえば、論語の「四十にして惑わず」だが、「迷いっ放しですね」と自嘲気味に話す。
片田舎で生まれ育った。学業成績は他の同級生たちを圧倒。もともと学校の数自体が少ない小さな町だけに、その秀才ぶりはすぐにうわさになり、地元ではちょっとした有名人だった。毎週土・日曜は、自宅から県庁所在地にある大手予備校まで往復4時間かけて通い、勉強に励んだ。その努力の結果、国立大に現役で合格した。
順風満帆と思えた人生に、初めてちょっとした違和感を覚えたのは、大学に入学してからだった。地元では神童扱いだったが、全国から集まった並み居る学生の中では「その他大勢」の一人。高校までは大学合格だけを考えて一直線に勉強すればよかったが、「大学に入って、卒業後に何をするか考えてこなかったことに初めて気付いた」と振り返る。
結局、明確な人生設計図を描けないまま、周囲の同級生に倣うかのように国家公務員になった。中央官庁の中でも現在の職場を選んだ決定的な理由もない。「同級生の多くが目指していたから」という理由で、最初は特に難関とされる財務省や外務省を漠然と考えていたが、成績を比較して変えただけだ。
国会会期中は議員の答弁の作成にも携わるため、深夜残業と休日出勤を繰り返している。「正直、疲れ切っています」とため息を漏らす。国家行政の中枢ともいえる今の仕事は、選ばれたエリートにしかできない仕事ともいえるが、「これでいいのか」という自問自答が収まらない。
その最初のきっかけは、かつて出向した地方自治体での経験。多くの死傷者や避難者が出た大規模な自然災害への対応に総動員で当たった。「職員全員が部署や立場を超えてできることは何でもやった。いや、やるしかなかった」。当時は産業振興関係の課で事務を担当していたが、避難所へ行って食料などの配給や掃除などに汗を流した。人が足りなければやるしかない。
「本当にありがとう」。避難所で多くの住民がお礼とねぎらいの声を掛けてくれた。その時に初めて「公務員になってよかった」と実感できたという。今、熊本県を中心に続く地震で多くの住民が避難生活を送る映像がテレビに流れる。「許されるならすぐにでも現地に行って役に立ちたい」。そんな思いに駆られる。
独身。同じキャリア官僚になった大学の同級生の多くは家庭を持ち、順調にキャリアアップしている。中には民間に転職し、公務員時代を大きく上回る給料を得て高級マンション暮らしをする同級生もいるという。
この先の人生、どんな道を選択して進んでいけばいいのか、何が正解なのか-。これからも自分の可能性を最大限探っていこうと思っている。
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