2016年10月3日月曜日

【駆け出しのころ】青木あすなろ建設常務執行役員東京土木本店長・辻井靖氏

 ◇技術と知識の向上が楽しみにつながる◇

 最初に配属されたのは、日本道路公団(当時)が発注した群馬県の関越自動車道渋川インターチェンジ(IC)の現場です。京都で生まれ、就職するまで関西を出たことがなかったので、環境の変化に戸惑ったことを覚えています。

 この工事は、出入り口が4カ所あるフルランプのICの造成です。赤城山の切り土工区から一般道を経由し、盛り立てる内容で、規模も大きく、工種も土工事や構造物と多岐にわたりました。JVの職員だけで20人ほどいました。

 1年目は測量手元から始まり、先輩に付いていくのが精いっぱいでした。所長と副所長が教育熱心な方で、通常の教育マニュアルとは別に、週に1度、仕事が始まる前に工事管理の基礎を学ぶ勉強会を開いてくれました。主任クラスが講師を務め、JVの若手がそろって参加しました。朝早く起きるのはつらい面もありましたが、大変ためになりました。

 2年目に入り、現場の試験室の手伝いをさせてもらうようになります。ここで主任が土質試験や土質構造のノウハウを教えてくれました。学生時代の勉強は、卓上の学問であまり好きではありませんでしたが、現場で必要となる基礎理論や仕様書の勉強は苦になりませんでした。

 このころ、工区内の谷筋で小規模な土石流の発生箇所がありました。改築するのは難しく、変更工事を提案しました。2年目の段階で施工管理に加え、設計変更の手伝いができたことは大きく、変更協議に興味を抱かせてもらいました。

 本当に良い先輩に恵まれ幸運でした。乗り込みから完成まで約3年、最も思い出に残る現場です。5年前に東京勤務になった時、現地を訪れました。感慨はひとしおで、形が残るものを造るのは、土木技術者の醍醐味(だいごみ)の一つだとあらためて思いました。

 この現場の後、四国の横断自動車道、シンガポールの地下鉄工事なども経験します。中でも自身のステップアップと同時に、技術者としての楽しさを味わったのが本州四国連絡橋公団(現本州四国連絡高速道路会社)の明石海峡大橋4A工事です。

 長大橋の国家的プロジェクトで、一つ一つの工事が実験的・先進的でした。淡路島側のアンカレイジの施工を担当しましたが、本体着工前に1年間、発注者と共同で行う施工検討・計画作成に参加させてもらいました。

 当時は最先端の海水練り連壁工事や高流動コンクリートの実験も経験し、土木技術者として充実した日々を送ることができました。結婚して間もなくのころでもあり、淡路島での新婚生活は思い出として今も深く残っています。

 土木技術者にとって、自身の技術・知識の向上に精練することが、仕事をする上での楽しみだと思います。少し恥ずかしい言葉になりますが、後輩たちには技術者としての誇りを大切にしてほしいと思います。同じく、人との巡り会いも大切にして下さい。

 (つじい・やすし)1982年京大工学部卒、青木建設(現青木あすなろ建設)入社。管理本部副本部長兼関連事業室長、上席執行役員大阪土木本店長、常務執行役員大阪土木本店長を経て、16年4月から現職。京都府出身、57歳。

入社後最初に配属された関越自動車道渋川IC工事の現場事務所で

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