◇全体のマネジメント担う自覚を◇
入社3年目に初めての海外勤務でサウジアラビアの建設現場に赴任しました。
もともと海外の大きなプロジェクトにも携わってみたいと入社し、当時は会社も海外勤務を前提に新人を採用していたところもあり、海外へ行くよう言われたこと自体に驚きはありませんでした。ただ、同じ海外で東南アジアでの仕事が多かったので、赴任先がサウジアラビアとは考えてもいませんでした。それに入社から2年ほど過ごした札幌が良いところで、海外にはあまり行きたくないと思うようになっていた頃でもありました。
ここでの工事はシールドマシン4台で総延長約8000メートルを掘削し、立坑も30カ所ほど造る大規模なもので、私は現場の事務担当としてタイ、スリランカ、フィリピン、マレーシアなどの国々から来ていた作業員の労務管理や会計などの仕事に携わりました。
サウジアラビアでは飲酒ができず、現場から映画館など遊びに行く所もありませんでしたので、楽しみといえば食事くらい。ところが、外国人のコックは私たち日本人が好きだろうからといってカレーライスと刺身を一緒に出すなど、メニューや味付けにはどうも慣れませんでした。
ここで働く職員のストレスを解消しようと、現場が軌道に乗ってから企画された国外旅行を、私たち事務屋が段取りしたこともあります。それぞれに欧州かアジアかの希望を聞き、私はパリとバルセロナに行かせてもらいました。サウジアラビアにいた2年間で、現場の休みを利用したこの旅行が唯一リフレッシュできた思い出になっています。
帰国後は東京支店管理部会計課に配属されます。1987年4月のことで、それから支店に6年ほど勤務した後、入社11年目に本社で財務関係の仕事を担当することになりました。会社で最も大きい東京支店で働くことができ、次は本社に行きたいと思っていましたので、自分の希望がかなった異動でした。
会社への貢献というのは、現場で利益を上げることや、営業であれば仕事を取ってくることなどさまざまです。どの切り口から見るかです。管理部門はそうした会社の業績に直接関わることはできませんが、全体のマネジメントを担っているのだという自覚を持ってやっていかなければなりません。本社であれば、支店や子会社から相談されたら真摯(しんし)に対応し、頼られる存在でなければいけません。
以前は縁の下の力持ちだったかもしれない管理部門ですが、今はそれよりもっと期待されているところが大きいと思っています。大事な仕事であり、これからも会社が成長するためにしっかりこなせる人材を育てていきたいと思っています。
(みやもり・しんや)1983年東大文学部卒、ハザマ(現安藤ハザマ)入社。管理本部財務部資金課長、四国支店管理部長、東北支店管理部長、管理本部財務部長、安藤ハザマ管理本部副本部長兼財務部長などを経て、16年から執行役員管理本部長兼防災担当。兵庫県出身、57歳。
サウジアラビアでの勤務を終える頃に撮った1枚 (中央が本人) |
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