小さなころに抱いた建設業への親しみが仕事の原点になった |
◇憧れた父の背中を追って◇
「自分の仕事の原点には建設業で働く父の姿があった。いつも父に誇れる自分でいたい」。行政機関で働き工事発注の関連部署で管理職を務める岡田宗久さん(仮名)は仕事で壁にぶつかった時、父親の姿が頭に思い浮かぶという。
中国地方出身の岡田さんの父親は地元の建設会社に勤めていた。いつも作業着姿だった父親の背中を見て育った。大雨が降り土砂崩れなどが起こるといち早く現地に駆け付けていた。そんな姿を「格好いい」と感じ憧れた。幼かった頃は会社に出入りする職人が遊んでくれ、こっそり現場に入れてもらうのが楽しみだった。「自分にとって建設現場は遊び場だった」と当時を懐かしむ。
建設業界を深く知りたいと考え、大学進学で迷わず土木工学科を選んだ。大学院に進みひたすら学問として土木を追求する日々。充実はしていたが、「これでいいのか?」という思いが心のどこかにあった。「小さな頃から慣れ親しんできた建設業界に恩返しがしたい」。いつの間にか膨らんできた思いをかなえるために、業界の発展を後押しできる行政機関で働くと決めた。
就職後、最初に配属されたのは河川整備を担当する部署だった。専門用語が飛び交う職場。大学院まで進み土木を学んできたが、働き始めると右も左も分からなかった。一日でも早く戦力として認めてもらうため気付いたことはとにかくメモをした。「苦しいこともあったが、小さな頃に憧れた建設業界を深く知るきっかけになった」。
働き始めて最も印象深い出来事は、1995年に発生した阪神・淡路大震災だ。大地震で倒壊したビルや高速道路。壊滅状態になった神戸の姿を見て、「大規模災害の恐ろしさを思い知った」と話す。
被災地を支援するため時間を忘れ仕事に没頭した。復旧をサポートする施策立案や自治体との調整などやるべきことはいくらでもあった。昼夜を問わず業務に当たった。多忙を極め心身共に追い詰められたがそんな時、脳裏に浮かんだのは幼い頃に見た父親の姿だった。災害が発生すればどんな時でも現場に駆け付けていた父親。「今の自分と同じことを父親もやっていた」と思うと、不思議と力が湧いてきた。
社会人になってから各地でさまざまな自然災害が起こった。地震や水害、火山噴火…。各地を襲った災害は枚挙にいとまがなく、被害規模は年を追うごとに大きくなっている。これまでの経験もあり、地域を守っていくのは建設会社という思いが強くなっている。
60歳の定年退職を迎えるまで残っている時間はそう多くない。建設業界の関係者と話すとさまざまな課題に苦慮していると感じる。「今の自分があるのは建設業界のおかげ」。より親身になって話を聞き、より良い対応策を一緒に考えたいと強く感じている。
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