2021年10月5日火曜日

【駆け出しのころ】みらい建設工業取締役執行役員東京支店長・浅賀 雅彦氏

  ◇全体イメージし一歩前進◇

 公務員の祖父が土木技術者だったほか、「黒部の太陽」や「海峡」といった映画の影響などもあり、自然と土木の道を志しました。大学で港湾工学関係の研究会に所属するなど、スケールの大きな仕事の中でも海洋土木に関心があり、縁あって大都工業(現みらい建設工業)に入社しました。

 東京支店に配属され、最初の現場は都内の下水道工事。現場事務所の横にある狭い一室で先輩と寝泊まりしながら、がむしゃらになって仕事を覚えていきました。

 右も左も分からない新人ですから、下請の職長さんなど作業員の方々にも、いろいろ教えてもらいました。プライベートでも食事をしたり、遊びに行ったりするなど、非常に仲良くさせてもらったのですが、そのことで先輩に怒鳴られました。「下請と仲良くなりすぎては現場で示しが付かず、仕事を進める上で相手と近すぎては調和が取れなくなる」と諭されたのを覚えています。

 失敗したり、叱られたりして落ち込むこともありましたが、温かい包容力を持って指導された先輩たちには感謝しています。若手でも信頼し、いろんなことを任せてもらったことが、技術者として成長の糧になりました。仕事がハードで入社から間もなく辞めた同期もいましたが、厳しい環境ながら泥にまみれるのも苦とならず、土木は自分の性分に合っていたと思います。

 2年目からは横浜、川崎エリアの海上・陸上工事の施工管理に従事しました。横浜みなとみらい21地区では博覧会の開催を控え、桜木町の動く歩道橋や駅前広場、共同溝など多くの仕事を抱え、かなり忙しかったです。現場関係者らとの飲み会で英気を養い、多くの仲間に助けられながら必死に取り組みました。

 同地区での工事に2年ほど携わり、仕事の進め方や段取り、関係者との折衝、測量技術など、多くのことを学ぶことができました。余談ですが、海上に目を向けるとベイブリッジの建設が進められ、自分もいつかあんな巨大構造物を造ってみたいと思っていました。

 続いて東北支店に異動。2年ほど八戸港で防波堤の整備や浚渫作業などに携わり、厳しい寒さには苦労しました。その後、東京支店に戻って臨海副都心開発の関連工事などを担当しました。工事に着手する際に「いくら思い悩んでも、全体をイメージできていないと現場はうまく進まない。まずイメージしそこから手順を決めて進めろ」と掛けられた上司の言葉が耳に残っています。

 入社8年目ごろに神津島の災害復旧工事を任された時は、どうアプローチすればいいのか悩みました。とにかく思い付きでも一歩前進することで、先が見えてくるのだと実感しました。若い人たちも焦らず、自分の可能性を信じて思った通りに進んでもらいたいです。

入社2年目、横浜本牧ふ頭の作業現場で

 (あさが・まさひこ)1985年日本大学理工学部土木工学科卒、大都工業入社。東京支店工事部長、執行役員施工本部副本部長を経て、2020年4月から現職。東京都出身、59歳。

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