2016年12月12日月曜日

【駆け出しのころ】鉄建取締役専務執行役員土木本部長・菊地眞氏

 ◇造り使ってもらえる感動を◇

 入社して、よみうりランド(東京都稲城市)で1週間ほど受けた新人研修では、朝早く起こされて走ったり、そろばんの演習などを行ったりした記憶があります。それまでと比べて入社人数は少なく、私たちの1、2年後も含めて就職には厳しい時代でした。

 最初に配属されたのは東北新幹線仙台駅の現場です。まずは先輩に付いて測量などを教えてもらいました。測量では線路の中に入って機器を据え付けなければならないのですが、これが新人には難しい作業でした。早く据え付けて測量しないと次の列車が来てしまいます。今はこうしたやり方はできませんが、先輩には「お前と測量していると仕事にならない」と叱られました。慣れるまでは苦労しました。所長からは「先輩の技術を盗めよ」と言っていただいたのを覚えています。

 次に携わったのは岩手県内で工業団地の進入路を造る土工事で、入社3年目でした。計画づくりを手伝ってもらい、協力会社の人も付いてくれていたとはいえ、工事が始まると測量からすべてを一人で担当しなければなりませんでした。こうした工事を若い社員一人に任せるとは「会社はすごいな」と思ったものです。

 しかし、自分がやらないと工事が止まってしまい、工期に間に合いません。このため工事中に地滑りが起きた時は本社の技術研究室に問い合わせて対応するなどして、何とかやり遂げました。大変厳しい現場でしたが、休みたいなどと考える暇もありませんでした。現場の社員が近隣のお宅に一部屋借りて下宿したのも、あの頃が最後だったかもしれません。

 その後、東北で高速道路のPC橋建設工事を担当します。当時、高速道路としてはスパンが国内で一番長い橋梁で、ここでの3年間にPC橋の設計も含めたノウハウを教えていただきました。

 ドイツの会社に2年ほど留学した経験もあります。この会社には日本の他のゼネコンからも技術者が留学していましたが、当社では私が初めてでした。帰国後は本社に異動し、設計や現場の技術支援などの仕事に携わってきました。

 現場の人は技術のことを、技術の人は現場のことを分かっていないとバランスが良くありません。会社では両方できるよう指導しています。構造物が小さくても造ることの喜びは得られ、造ったものを人に使ってもらえることにも感動できます。

 かつて自分で造ったものを現地に行った時に見ることもあり、そこではいろいろなことを思い出します。良いこと、大変だったこともありますが、それが生きがいのようにもなっています。若い人たちにもぜひ感じてもらいたいと思っています。

 (きくち・まこと)1976年北海道大学工学部土木工学科卒、鉄建入社。エンジニアリング本部技術部長、執行役員エンジニアリング本部長、常務執行役員土木本部副本部長兼土木企画部長などを経て、16年から取締役専務執行役員土木本部長兼建設技術総合センター副所長。兵庫県出身、63歳。

入社して最初に配属された現場事務所で

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