2017年5月22日月曜日

【駆け出しのころ】フジタ取締役常務執行役員建設本部副本部長・平野徹氏

 ◇建物づくりはやっぱりすごい◇

 入社して最初に配属されたのは関東支店です。その初日に群馬県内にある温泉旅館の増築工事現場に行くよう言われ、現場から迎えに来てくれたのがパンチパーマの先輩でした。私はその温泉地がどこにあるのかもよく分からず、しかも先輩の運転する車が高速道路を下りて国道、脇道へと進んでいくうちに辺りは真っ暗に。一体どこに連れて行かれるのかと不安でたまりませんでした。ようやく到着した所は、現場が宿舎に借りている古い家屋。その場で帰りたくなったのを覚えています。

 この老舗旅館の館内にはバンドの生演奏で歌えるクラブがありました。私たちは日中の仕事を終えると風呂に入り、ここで夜8時ごろからお客さんを呼び込むための「サクラ」としてよく歌っていました。これも仕事のうちで、いわゆる営業協力です。

 楽しかった思い出ですが、現場では建築技術者らしい仕事ができず、谷川岳に沈む夕日を見ながら「これでいいのか」と思い悩んでいました。最後に車寄せ部の施工管理を任せてもらえた時はうれしかったものです。

 竣工披露パーティーで旅館の会長から頂いた言葉は今も忘れません。私たち一人一人の名前を呼び、「皆さんは台風の時、寝ずに番をしてくれた」などと言って下さいました。これを聞いて「建物づくりはやっぱりすごい」と感動し、この世界にすっかりはまってしまいました。

 結婚したばかりのころ、ある地方の現場を自分から希望して担当させていただいたこともあります。ここは山留め工事のある現場でした。私にはそれまで経験がなく、このままでは建築技術者として遅れてしまうと思っていたため、自ら手を挙げました。建築技術というのは、本を読んだだけでは分かりません。やはり実地に経験していかないと身に付いていかないものです。

 私もこれまでに多くの失敗をしてきましたが、若い人たちに伝えたいのは、失敗しても自分一人で抱え込まないということです。抱えていると事態はどんどん悪化してしまいます。悪いことこそ上司や先輩に早く言うことが大切です。

 そしてこれからの時代は「ただひたすら走ろう」といった教育ではなく、現在のスポーツ界がさまざまなデータも駆使しながらアスリートを育てるように、現場職員の指導育成も科学的に行っていくことが重要です。そうやって職員もアスリートにならなければいけません。これまでのように「10年掛かりで一人前」では通用しません。「こうしたらここまでいける」といったことを科学的に示していくことが必要でしょう。スポーツ科学なども勉強し、人材の育成につなげていけたらと思っています。

 (ひらの・とおる)1981年日大理工学部建築学科卒、フジタ工業(現フジタ)入社。東京支店建築部次長、同建築部長、首都圏支社東京支店副支店長兼首都圏支社建設統括部統括部長、執行役員建設本部副本部長などを経て、15年4月から現職。宮城県出身、59歳。

入社して最初に担当した現場のメンバーと(前列右端が本人)

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