2015年7月13日月曜日

【駆け出しのころ】清水建設専務執行役員土木事業本部長・岡本正氏

 


 ◇変化に対応しチャレンジを楽しむ◇

 入社して本社管轄の現業組織である土木第三部に入り、神奈川県内の現場に配属されました。昭和55(1980)年に横浜支店ができたのに伴い、そのまま人事登録上の転勤となりました。
 人数の多くない支店でしたので、31歳のころ正式に現場所長を任せてもらいました。うれしかったのを覚えています。でも、当時はまだ入社して10年未満。若かったため、現場運営では壁に突き当たり、行き詰まってしまいました。そんな時、他の現場の先輩所長にいろいろとアドバイスを頂けたのはとてもありがたかったです。いくら自分だけ頑張ってもすべてができるわけではなく、皆の思いを一つにすることが大事だと学びました。その後、会社で次のステップへと移るたびに、このころのことを思い出します。
 最初の現場はシールド工事でした。新入社員の私が驚いたのは、ここの宿舎棟に檜(ひのき)の風呂があったことです。頑張っている若い人たちにはいい風呂に入らせてやりたい。そういう思いが所長にあったようです。仕事が終わると毎晩、檜のいい香りのする風呂に入っていました。
 若いころは現場で職人によく怒られたものです。われわれが少しでもミスをすると、彼らの手戻りになってしまうのですから、いつも神経を使っていました。それでも間違えてしまう時があります。
 ある日の夕方、丁張りをかけた位置が間違いと分かり、事務所から急いで現場に戻りました。でも、既に丁張りに沿ってのりが切られた後でした。夜の内にかけ直しましたが、翌朝にそれを見た土工事屋さんは、なぜか一晩で丁張りの位置が後方に下がっているのですから驚きです。この時は笑って許してくれましたが、もし逆側に間違えていたら、余計に掘ってしまい大変なことになるところでした。
 失敗から得るものは大きく、そういう経験工学的なところが土木にはあります。教えてもらうよりも、失敗の実体験から学べることの方が大きいのですが、今は失敗が許されない時代でもあります。われわれのいろいろな体験をどう伝えていくか。既に取り組んではいますが、これからも重要な課題です。
 私が入社したころも建設業はどんどん変わっていたのだと思います。過去を例にすると、現在には良くないことがいっぱいあるかもしれませんが、今の時代も変化しています。それに対応していかないといけません。建設業の未来に向けて新しいものにチャレンジし、楽しむことが必要です。会社ではこうやって前向きに考えていこうとよく話しています。
 (おかもと・ただし)1977年早大理工学部卒、清水建設入社。横浜支店工事長、土木東京支店統括工事長、九州支店土木部長、北陸支店副支店長、執行役員関西事業本部四国支店長、常務執行役員土木事業本部土木東京支店長などを経て15年4月から現職。埼玉県出身、60歳。

初めて現場所長になったころの一枚


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