2019年9月30日月曜日

【駆け出しのころ】ダイダン執行役員・畑中勝美氏


 ◇失敗乗り越え達成感を◇

 1964年の東京五輪景気で首都圏の職人が足らなくなり、青森で大工をやっていた父親がコンクリート建築の型枠大工として東京に出てきました。学生時代には父親の仕事の関係で建築の現場でアルバイトをしたこともあります。

 大学でさまざまな研究に関するプレゼンテーションが行われ、そこでクリーンルームが紹介されました。小さな粉じんを除去し、宇宙や医療など多産業で大切なものだと知り、環境設備・空調設備に関心を抱きました。

 大阪電気暖房(現ダイダン)に入社後、研修を経て東京の庁舎建設の現場に勤務しました。準備期間が比較的あり、いきなり施工図の作成を任されました。手取り足取り教えるのではなく、やらせて覚えさせる当時の上司の教育・指導方針の下、1カ月ほどかけて書き上げました。

 いよいよ現場での作業が始まり、ダクトが工場から運ばれてきましたが、半分以上が廃棄処分となりました。他職との打ち合わせなどを通じて事前調整することを知らず、こちらのことだけを考えた計画だったので、うまくいかないのは当たり前です。その時は現場や会社に迷惑をかけ、ずいぶん悩みましたが、失敗から学ばさせてもらえたことは良かったと思います。

 どの現場も新しいことの連続で最初から完璧に行えたことはなかったですが、失敗の数だけ仕事を覚えてきました。上司は厳しかったですが、酒を飲みに誘われたのは楽しい思い出です。飲んでいる時の上司は説教や自慢話を一切せず、私も好き勝手に言わせてもらいました。

 チームワークが崩れた現場が一番最悪な状況に陥るため、特に大変だった現場ではスタッフとの打ち合わせを欠かさず、とにかくコミュニケーションをよく取りました。現場では先が見えない状況が続き、忙しさがピークを迎えた時に現場がふっと終わると、何とも言えない達成感と充実感が待っています。設備が稼働して空調がきちんと効いた時は今でも感動します。

 建設業界での建築設備の位置付けも、30年前に比べるとかなり重要視されるようになったと感じます。それでもいろんな立場の人たちが集まる現場では、辛く、きついことは当然あります。大変な場面はありますが、特に若い人たちには人との関わり合いを大切にし、苦労の先に報われることがあることを伝えたい。

 昔に比べて失敗に過剰反応する現在では、われわれの時代のような失敗を乗り越えて得た達成感を味わうことはできないかもしれません。個人的には若者にもある程度のことを任せ、許容できる範囲で失敗させてあげるべきだと思います。今後も明るく元気に働ける現場づくりに注力していきます。

入社3年目頃。社内のスキー旅行で同年代の仲間たちと(前列右端が本人)
(はたなか・かつみ)1985年日本大学理工学部建築学科卒、ダイダン入社。東京本社技術副統括兼技術第三部長や執行役員東京本社副代表兼技術統括などを経て、2019年4月から執行役員東日本事業部技術統括兼東京本社副代表兼技術統括。青森県出身、56歳。

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