ホテル設計のための旅で多くのことを学んだ |
「あの人たちとの出会いが、今の自分をつくった」-。地方の設計事務所に勤務する50代の下山大海さん(仮名)は部下や後輩を指導したり、管理したりする管理職。「たくさんのものを見て、常にゼロベースで設計に向き合う」ことが信条で、それは事務所のスタッフにも常に言い聞かせている。そんなモットーを持つようになったのは、ある二人の人物との出会いによる影響が大きい。
一人は新入社員だったときの上司。とにかくスケッチをする人で、黙々と行動を起こす姿が印象的だった。提案力が高く、「一つの仕事の中に何か新しいことをやれ」が口癖で、新人だった自分にも容赦なくそれを要求してきた。建築設計なんて、急に何かが変わるような仕事でもない。「どうすれば新しいことができるだろう」。当時の自分には重い要求で、試行錯誤の新人時代だった。
設計手法のディテールを新しくしたり、今までしなかったアプローチの仕方を試したり。従来と同じやり方をしないように工夫した。次第に、標準パターンでやり方を決めてしまうと、それ以上の設計案はできないということが分かるようになった。「常にゼロベースから作り上げる」。当時、たたき込まれたやり方は今でも変わらない自分のベースになっている。
もう一人は30代の時に設計を担当したホテルの社長。名前を覚えてもらうのに5年もかかったが、知識の深い人で勉強させられた。あるホテルの設計を任されたとき、「今までの既成概念でつくれるようなホテルじゃだめだ。これで世界を回って勉強してこい」と現金1000万円を渡され、旅に出ることになった。あのときの衝撃は今になっても忘れない。
受け取った1000万円を手に、その土地にしかないようなものを探す旅に出た。絶対に成果を出さなくてはいけないと思うと、プレッシャーに押しつぶされそうだったが、アメリカではホテル、ヨーロッパでは家具、アフリカでは建材を精力的に見て回った。「海外にはなんて素晴らしいものがあるのだろう」。旅は感動の連続だった。
帰国後は旅で得たものをすべてプレゼンにぶつけ、設計に取り掛かった。ホテルが完成したときは、あの厳しい社長から感謝の言葉を掛けてもらえた。やりきったという実感があった。「良質なものを見て、そこから何かを学び取る」。この時の旅を通じて得たものだ。
今の時代に当時のようなやり方はできないだろう。しかし、設計屋の仕事が変わっても、彼との出会いで学んだことは設計屋にとって普遍的に大切なことだと思っている。自分が学んだことをどうやってスタッフに継承していけるか、模索する日々が続いた。
そんな中、働き方改革の影響で残業時間が減り、いつの間にか時間に余裕ができるようになっていた。そこで、スタッフには残業の削減で生まれた時間をプライベートの充実に充てるよう呼び掛けている。優れた設計をするためだ。建築しかできない設計者は担当するオーナーのことを深く理解できないし、新しいアイデアも生まれない。自分もプライベートを犠牲して仕事に打ち込んでいたころを反省し、興味のあることに余暇を使うよう心掛けている。
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