2019年9月2日月曜日

【駆け出しのころ】日本工営取締役専務執行役員・金井晴彦氏


 ◇修羅場を成長のチャンスに◇

 何がやりたいか、明確な意志を持っている人たちに比べると、土木を選んだ理由として明確なものはありませんでした。何となくインフラの設計をやりたいと考え、日本工営に入社後は設計部に配属され、海外畑を長年歩いてきました。仕事盛りで猛者ぞろいの部署だったことから、当時の志が低かった自分にとっては強烈なインパクトがありました。

 最初のころは韓国と中国のダム建設に携わり、1993年に技術者として大きな転機となったインドネシア・ルヌン水力開発プロジェクトを担当しました。十数カ所の取水堰をトンネルでつなげ、水を集めて発電する計画です。

 TBM(トンネル・ボーリング・マシン)による延長11キロのトンネル掘削は水との戦いとなりました。最初は調子よく掘り進めていたのですが、弱層の700メートルを1年半かけて抜けた直後、大出水に遭遇しました。湧水量は毎分84トン。トンネルの中は川が流れているような状況となり、青函トンネルよりもひどい環境でした。

 最初は4年の任期でしたが終わりの見えない状況下で、2000年にメンバーの総入れ替えで不本意ながら日本に戻ることになりました。2年ほどミャンマーの再生可能エネルギーマスタープランの業務を任されました。もうルヌン水力開発の現場に戻ることはないだろうと思っていましたが、事業主体の電力会社からの指名を受け、呼び戻されました。自分が戻っても状況を打開できるか分からず、迷いましたが自分が行くしかないと心を決めました。

 事業の長期化に伴い、さまざまなトラブルが続出する中、06年に何とか完成させることができ、自分にとっても得たものは非常に大きかったです。現場に戻らなかったら中途半端な人生になっていたと思います。

 本社に戻り、ストレスなどで精神的に参った時にいろいろ考えました。自分は結局何をやりたいのか。自問自答した末、「この仕事が好きなんだ」と思えたらつらさが消え、心も楽になりました。

 長い海外勤務を経て、インドネシアとミャンマーは自分の故郷のような感覚があります。東南アジアの途上国などのオープンマインドでゆったりとした雰囲気は居心地が良かったです。

 つらい現場も多かったですが、仕事を辞めたいと思ったことは一度もなかったです。後進に経験談は伝えられますが、実際に壁を乗り越えるには自分で気付くしかありません。修羅場は人を成長させるチャンスでもあり、つらい現場を楽しいと思えれば、その先に違った世界が見えてくると思います。

入社16年目ごろ、インドネシア・ルヌン
水力開発のトンネル現場で(右端が本人)
(かない・はるひこ)1982年早稲田大学大学院理工学研究科土木工学科修了、日本公営入社。執行役員、取締役常務執行役員を経て2019年から現職(取締役専務執行役員コンサルタント海外事業本部長)。群馬県出身、61歳。

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