2015年10月2日金曜日

【ニーマイヤーと丹下健三】丹下憲孝氏がラーゴ伯大使とトークイベント

トークイベントの様子=9月29日、都内で
 ◇経済発展を建築で表現した二人◇

 モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエの影響を受け、地球の反対側にあるブラジルと日本で各時代を象徴する建物を設計し、世界中から高い評価を得たオスカー・ニーマイヤーと丹下健三。共通するのは、建築を介して両国の経済発展の礎を具現化して見せた点だ。東京都現代美術館(東京都江東区)で開催中の「オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産を創った男」の特別企画として9月29日、建築家の丹下憲孝氏(丹下都市建築設計代表)とアンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ氏(駐日ブラジル大使)による「トークイベント」が開かれ、50人を超える聴講者が両者の講演に耳を傾けた。 

丹下憲孝氏
□新首都創造に貢献したニーマイヤー□

 ラーゴ氏は、ニーマイヤーが世界の注目を集めることになったブラジルの新首都「ブラジリア」建設の経緯について、「首都が沿岸部のリオデジャネイロから内陸部のブラジリアに移された背景には交通網と工業化の進展があり、ジュセリーノ・クビチェック元大統領の主導によって、ブラジルの中心に位置する場所に1956年から4年で整備された」と解説。

 クビチェックが大統領就任前のベロオリゾンテ市長の時代に行った「パンプーリャ湖プロジェクト」でニーマイヤーと知り合い、新首都整備でも協力を依頼したことを明かし、「建築と政治は深く関わっている。ブラジルで近代建築が発展したのは政府が推進したからだ」と語った。

 ニーマイヤーがブラジリアで設計した建物は大統領官邸や外務省庁舎、ブラジリア大聖堂など数多くあり、数々の工夫を凝らしたニーマイヤーの建物がブラジルを先進国に押し上げたと主張。同時に「ニーマイヤーは『建築は誰もが認識できる、子どもも分かるものとすべき』という考えを持っていた。このためブラジリアでもシンプルで象徴的なデザインを採用した」とも述べた。

 ブラジリアの最も象徴的な建物として大統領官邸を挙げ、「官邸は、長い躯体とその先にチャペルを配するコロニアル建築(農園建築)の影響を受けながら、モニュメンタルな出入り口とバルコニーを備える。出入り口を2階に配し、地上から緩やかに上がる大スロープと、建物前面の広場に向かって飛び出す形のバルコニーが特徴だ」と解説した。

アンドレ・コヘーア・ド・ラーゴ駐日ブラジル大使
□戦後復興の礎を築いた丹下健三□

 ラーゴ氏の講演を引き継いだ丹下氏は、「ニーマイヤーがブラジルで情熱的に仕事をしている地球の反対側の日本で、戦後復興のためにモダニズム建築の力を借りて新たな社会をつくることに没頭していた男が丹下健三だった」と強調。「ニーマイヤーは発展途上のブラジル、父は戦後の日本で活躍した。二人はコルビュジエに憧れ、南米と日本で互いに多くの国家プロジェクトに積極的に関わっていった。二人の仕事への思いは一つのように感じる」と持論を展開した。

 丹下健三の建築の考え方について、「二つのことを念頭に置いていた。一つは都市と建築を結び付けること、もう一つは日本の伝統を用いながら日本らしさを表現することだった」と述べ、世に出るきっかけとなった広島平和記念公園を例に挙げて解説した。

 丹下健三の案は、平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ100メートル道路による祈りの動線をつくり、建物の躯体部を柱だけで2階に上げて地上部(ピロティ)から祈りの軸をしっかりと見せることなどが高く評価された。丹下氏は「多くの提案者の中で都市的な表現を行ったのは当時、父だけだった」と指摘。「コンクリートという新しいマテリアルを建物の壁面に格子状に使い、日本らしさを表現した」と語った。

 丹下健三とニーマイヤーの共通点も紹介。「ピロティを建物に取り入れる手法はニーマイヤーも同じだ。父は代々木第一体育館で建築の形だけでなく、渋谷から原宿まで人がスムーズに動けることを最も重視した。ニーマイヤーも建物づくりで人の動きを大事にしたと聞いている。コルビュジエの考えを踏襲している」と話した。

 両者の共通点がよく分かる作品として、東京カテドラル聖マリア大聖堂とブラジリア大聖堂も列挙。教会の荘厳さを伝えるために、丹下健三が十字架状に切ったコンクリートの屋根から漏れる光、ニーマイヤーはステンドグラスの屋根からあふれる多彩な光でそれぞれ表現しており、「太陽の国であるブラジルと、わびさびの日本とで表現は異なるが、アプローチを低く抑え、大空間にいざなう考え方は両者とも同じだ」と解説した。

 ラーゴ氏は「当時は一番良い物は欧米からという考え方が定着していたが、世界の両端から二人の男が素晴らしい建物を次々に発表し、世界に力を知らしめた」と述べ、経済大国への礎を築いた、二人の両巨頭を取り上げたイベントを感謝の言葉で締めくくった。

 《オスカー・ニーマイヤー》(1907~2012年)

 ブラジル・リオデジャネイロ出身。1950年代に新首都として計画されたブラジリアの主要な建物設計を手掛け、草原だった土地に新都市を創出した。そのデザインは有機的でダイナミックな曲線とモダニズムの幾何学の調和を備える。主な作品はブラジルの大統領府や大統領官邸、国民会議議事堂、ブラジリア大聖堂、ニテロイ現代美術館、イビラプエラ公園の劇場など。プリツカー賞(1988年)、高松宮殿下記念世界文化賞(2004年)を受賞。ブラジリアは87年、世界遺産に登録された。
 
 《丹下健三》(1913~2005年)

 堺市出身。第2次世界大戦後から高度経済成長期に建築家として国内外で活躍し、多くの国家プロジェクトを手掛ける。戦後モダニズム建築の代表格として世界的な評価を得る。都市計画分野でも、街に対称軸を通し、モニュメントとなる象徴的な広場を置く軸の都市デザインを提唱し、高く評価される。主な作品は広島平和記念公園、香川県庁舎、東京カテドラル聖マリア大聖堂、代々木第一体育館、山梨文化会館、東京都庁舎など。プリツカー賞(1987)、高松宮殿下記念世界文化賞(1993年)を受賞。

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