経験がものをいう浚渫作業。見えない海底の地質変化を体で感じ取る |
幼いころから海が好きで、船乗りになりたかった。地元の水産高校を卒業した後、エンジニアの専門学校に通い、船舶のエンジニアになるのが夢だった。ただ、卒業当時は不況で、希望した船舶会社の求人はなく、高校時代の友人から「船に乗れるぞ」という誘いを受け、今の建設会社に就職した。
内山和幸さん(仮名)は、作業船に乗り始めて今年で25年目になる。「入社後すぐに浚渫船に乗ったが、海底の土砂を浚渫する船があることさえ、それまでは知らなかった。船舶のエンジニアの仕事ができればと思い就職したが、その浚渫船は非自航船で船内にはエンジンがなかった」
船乗りにはなったものの、自分が描いていたものとは大きなギャップがあった。最初に任された仕事は発電機担当。故障がなければ仕事もなく、船の上で暇を持て余した。2~3週間後、船長に呼ばれ、1級小型船舶免許を持っているなら揚錨船(ようびょうせん)の助手をやれと言われた。その2カ月後にはクレーンオペレーターの見習いをしてみるかと声を掛けられた。
先輩たちのクレーン操作を見よう見まねでやってみたが、なかなかうまくいかない。先輩たちは見えない海底をまるで見ているかのように土を探り、所定の土量を掘ってしまう。自分は何時間やっても上手に掘れない。「早く一人前になりたくて、無我夢中でした。そのうち、いつの間にか浚渫作業が面白くなっていた」
クレーン操作に熱中し過ぎて病気になったことがある。操作中にトイレに行く場合は機械を止めなければならない。その時間が無駄だと思い、日常生活での水分摂取量を極端に抑えた。そんな生活を続けていたら、ある日腹痛に襲われ、病院に駆け込んだ。「体内に石ができていた。医者にもっと水分を取りなさいと怒られた」。しかし、その後も水分を十分に取っていなかったため、何度も石ができ、そのたびに病院通いをした。
35歳の時に念願の船長に就任した。いざ船長になってみると、重責がのしかかった。それまではどれだけ効率的に浚渫ができるかだけを考えてきたが、船長になればそれだけでは済まない。自分の指示で船団や船員を動かしていかなければならない。そう考えると「俺にできるのか」と心配ばかりが募った。
「浚渫作業は、クレーンの操作だけでなく、船を固定するスパッドの操作、測量の三つをいかに連携させるかが大事。それが効率的な作業につながる。それぞれの担当者とまずコミュニケーションを図ることから始めた」
目指していた船舶エンジニアにはなれなかったが、浚渫船の船長という職を得た。今では天職だと思っている。浚渫作業は経験が物を言う世界。見えない海底の地質の微妙な変化を体で感じ取って浚渫する。腕次第で誰よりも速く、正確に浚渫ができる。
「こんなに面白い仕事はそうあるわけではない。今も自分の技能には満足していないし、どうやったらより効率的に浚渫できるかばかり考えている。これで終わりというのがない世界なんですよ」
高みを求める闘いはこれからも続く。
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