2015年5月18日月曜日

【駆け出しのころ】竹中土木常務執行役員・牧野豊氏


 ◇現場での忘れらないひと言◇

  私と同じ年に入社したのはちょうど100人で、大阪の独身寮に2週間ほど泊まり込んで研修を受けました。研修を終えて名古屋支店に配属され、名古屋市内のシールドトンネル工事の現場に赴任しました。
 この工事には着工から竣工まで携わることができ、先輩から現場のことをいろいろ教わりました。新人の役割といえば、まずは測量です。掘削が始まると一人で夜間の施工管理を担当することになったのですが、自分の測量が間違っていたら大変なことになってしまうと考えると、非常に怖かったものです。それに電卓もまだない時代でしたから、現場で必要な計算はすべて筆算で行っていました。これも間違ってはいけないと、大変に緊張しながらやっていました。
 最初の現場も含め、若いころに働いた現場の上司や先輩からは公私ともに影響を受けました。今でも感謝しています。お世話になったある先輩からは、「貯金をしろよ」と何度も言われました。逆らう理由もなく、先輩がそこまで言うならと始めたのが、給料から天引きされる社内貯金でした。この助言がなければ、もらった給料をすべて使ってしまっていたかもしれません。ですから私はこの先輩のおかげで結婚できたと思っています。
 今年で入社して42年になります。このうち現場に勤務していたのは半分ほどで、ケニアのモンバサの現場に赴任し、家族と一緒に海外生活を送ったのもいい経験でした。そうした現場生活を振り返り、若いころに世話役の職人から掛けられた言葉で忘れられないものがあります。
 それは「牧野さん、始まりがあれば必ず終わりがあるから」と言われたことです。おそらく私は、現場で思い通りにいかないことがあり、周囲にも分かるくらいにイライラしていたのでしょう。その言葉を聞いて「そうか、頑張っていればそのうち終わるさ」と思われて、とても気が楽になりました。胸に染みる言葉でした。
 現在の施工現場は機械化などが進み、私たちが携わっていたころとは様変わりしています。でも、変わらないのは、現場が社員と職人のチームワークで運営されていることです。私も現場の責任者だった時には、和を乱すようなことに対しては厳しく怒っていました。
 それと、忙しい中でも何か楽しみを持って仕事をしてもらいたいと考えています。今は現場に行っても教えられることの方が多いのですが、機会があれば現場で働く若い人には「楽しんどるかな」と声を掛けています。
 (まきの・ゆたか)1973年日大生産工学部土木工学科卒、竹中土木入社。国際事業本部モンバサ空港改修工事副所長、名古屋支店工事部工務課長、同工事部長、同副支店長、取締役名古屋支店長などを経て、13年3月から現職。愛知県出身、64歳。

測量のために伐採した木々を運ぶ牛の横で同僚と(右が本人)

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