2015年10月5日月曜日

【駆け出しのころ】西松建設執行役員技術研究所長・岩永克也氏


 ◇忙しくても明確な目標があれば◇

 私が生まれた佐賀県の地元にはかつて西松建設の出張所があり、周辺に住む親戚から、就職する時に「日本一の会社に入ったね」と言ってもらえたのを覚えています。建設業界にどのような会社があるのかよく分かっていなかったのかもしれませんが、自分たちがよく知っている会社に入社することをとても喜んでくれました。

 最初に配属されたのは栃木県内にある東北新幹線の建設現場でした。高架橋をはじめいろいろな工種がある現場で、いい勉強をさせてもらいました。他の工事も含めて現場に3年勤務した後、土木設計を担当することになります。土木設計部に異動してからは現場の仮設計画をはじめ、大規模プロジェクトの計画づくりなどに携わりました。

 海外ではこんなことがありました。香港とバンコクで行われた技術セミナーに参加し、その足でシンガポールに寄ると、そのまま転勤となったのです。私が基礎の計画を担当した超高層ビルの工事が始まるタイミングに合ったためで、何の準備もしていませんでしたが、シンガポールに4カ月滞在しました。香港支店に約4年勤務したこともあり、新空港プロジェクトのデザインマネジャーなどを務めました。

 国内で、ある大規模プロジェクトの施工計画を担当したころのことです。会社を出るのは連日夜遅くという忙しさでしたが、グループの皆とよく中華料理店に寄り、いろいろなことを話したものです。これが半年ほど続いたでしょうか。明確な目標に向かっていたため、忙しい中でも若いメンバーで楽しみながら仕事ができていたのではないかと思っています。

 期日の朝までに何とか間に合わせ、新幹線や飛行機に飛び乗って現場へ向かったことも一度ばかりではありません。とりあえず後輩を新幹線に乗せ、会社に残ってチェックを進めていた私から電話で「ここを直しておけ」と伝えて間に合わせたこともありました。若いころに現場を離れる時はまだ携わっていたいという思いもありましたが、土木設計の仕事を通じ、いろいろなことを広く見てこられたのは貴重な経験になっています。

 現在の技術研究所では、開発した技術をいかに現場で使ってもらえるよう自分たちが動くかを意識しています。公共工事の入札で総合評価方式が普及し、あらためて技術が見直されました。そういう意味では技術をどうアピールするかが重要であり、技術研究所が担っていくべき役割は大きいと考えています。

 仕事ではプロフェッショナルになる、そして新しいことに挑戦する。これが若い人たちに期待していることです。

 (いわなが・かつや)1978年北海道大土木工学科卒、西松建設入社。95年香港支店設計課副課長、2000年企画技術部企画技術課課長、03年土木設計部副部長、09年技術研究所長、14年執行役員技術研究所長。佐賀県出身、59歳。

香港では新空港プロジェクトにデザインマネジャー
として携わった。ホホーイールドーザーの前で(中央)

0 comments :

コメントを投稿