日本海に面した京都府舞鶴市にキャンパスを置く舞鶴工業高等専門学校は、1965年に当時の舞鶴引揚援護局の仮校舎で開校し、翌66年に本校舎と本寄宿舎を現在地に移転した。
建設システム工学科は、幅広い分野で活躍できる第一線の建設技術者の育成を目指し、3年生までは工学と専門科の基礎を学び、4年生から「都市環境コース」と「建築コース」の2コースに分かれて専門性を高めている。
土木系の都市環境コースで、鋼構造や構造解析を専門とする玉田和也教授らが指導する部活動の「デザコン部」を訪ねた。
◇デザコンで勝つため赴任早々創部◇
玉田教授は2007年に舞鶴高専に赴任してすぐに、建築コースの尾上亮介教授と共に「デザコン部」を立ち上げた。デザコンは全国の高専生が一堂に会してデザイン性や構造解析の実力を競うコンペティションで、「研究室単位のエントリーでは全国で勝てない」と尾上教授と意気投合し、同好会の設置から始めた。部に昇格するまでに2年かかったが、その後は順調に部員も増え、現在では35人を抱える最大規模の文化部に成長した。
デザコン部を立ち上げた頃は「熱血指導していたが、学生たちにある程度任せるようになってから、デザコンで結果が出るようになりました」と玉田教授は説明する。部活の指導では上下関係よりもフラットな関係での活動を心掛け、下級生の芽を摘むことのないように指導している。
その結果、「下級生が上級生を出し抜いて全国大会に駒を進めることもあります。下克上ありの部活です」と玉田教授。このため、下級生もできる限りデザコンの全国大会に連れていき、「デザコンの雰囲気を肌で感じさせています」(玉田教授)。
いったんは全員がライバルで競うことになるが、本戦出場作品が決まれば一致団結。学年を問わずに皆で模型作りを進めるなど、万全の体制で全国大会に臨むのが慣例だ。
学生に部活を楽しんでもらえるようにと玉田教授なりの工夫も見られる。それは作品の命名。昨年12月の高知大会では、構造デザイン部門に出展した作品に「保形門・剛」(ポケモン・ゴー)と「奇跡の軌跡」とネーミングした。「ふざけているだけでなく、ちゃんとした意味も持たせています」という。
◇部内の関係はフラット、下級生の下克上も◇
大会ではエントリーネームの紹介だけで会場を沸かせた。以前にも、「踊る大放射線」や「橋立ぬ」など映画のタイトルをもじった作品名で全国大会に挑戦している。
「高知大会の前までは、作品が壊れるまで載荷を実施していましたが、これではせっかくの力作が残らない。そこで本部に提案して今回のように載荷の上限を決め、壊さずに作品を持ち帰れるように変更していただきました」と玉田教授。「橋が壊れて喜ぶようでは駄目。壊れずにいかに軽量でデザイン性を追求するか、その方が学生にとっても勉強になると思います」と土木技術者の一人として作品に対する愛情は深い。
高知大会の時に5年生で部長を務めた前川寛太さんは「こんな競技を自分もやってみたい」とデザコンに憧れて舞鶴高専に入学した。高知大会では惜しくも入賞を逃したが、「デザコン部で構造を学んだことは、建築にも生かせる。大変充実していた5年間だったと思います」と振り返った。
「奇跡の軌跡」の橋梁模型 |
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