2021年7月5日月曜日

【駆け出しのころ】安藤ハザマ執行役員営業本部副本部長・石原吉雄氏

  ◇社外との関わりで視野広げる◇

 高校生の頃から地球環境に興味があり、大学では衛生工学を専攻しました。父親が橋梁の設計の仕事をしており、同じ道に進んでほしいという思いは感じていました。けれども反発心もあって土木学科には進みませんでした。将来を考える時期を迎えものづくりへの思いが強まり、結果的にゼネコンへの就職を決めました。

 入社して最初に配属されたのは山奥のダムのJV現場で、3年ほど勤務しました。土木基礎学科は学んでいましたが、一からすべて経験の中で学ぶしかありません。朝から夕方まで現場を走り回っていたことを今でも覚えています。

 冬は大雪で工事が減るため、その間は他現場へ応援に行きました。応援先は都市土木のJV現場で、山奥のダム現場とは環境がまったく違いました。当社は私一人でしたので、新人ながらも社外の人からは一人前に見られなくてはいけないという思いが強かったです。

 ダム現場の次に本店の設計部に異動した後、国の外郭団体に出向しました。国や自治体の職員、設計コンサルタント、ゼネコンなど、多様な職種の人がいる職場で、業界全体のことを知る良い機会となりました。

 30代前半に本社の設計部に戻って港湾の埋め立て地の解析業務を担当。その後、ダムの施工計画や設計を担当し、年齢的にもこのままでいくのかなと思っていた頃、三井物産に出向することになります。

 当時は公共事業に民間資金を活用するPFIを推進する機運が広がり、大手商社も乗り出していました。私の担当は技術的なものではなく、事業をつくり込む仕事でした。周りはほとんどが文系出身の方々でしたが、上下水道の処理場整備に関する計画を立てる際には技術者顔負けの知識を持っていました。技術屋だから技術だけをやっていれば良いと思っていた私には衝撃でした。

 技術職ではない人たちがあれだけ技術のことを勉強しているのだから、技術者の自分も他分野のことをもっと学ばなくてはいけないと決意。出向先から戻った後に事業の評価・運営についてもっと深く学ぼうと、中小企業診断士にトライし、6~7年かけて何とか資格を取ることができました。

 2度の出向で一緒に働いた方々とは今でも交流があります。出向先での縁が別の仕事を乗り越えるきっかけになったこともありました。社外の人との関わりは自分をさらに成長させてくれました。一つの場所にとどまっていると目の前のことだけを考えがちですが、外の空気に触れて広い視野を持つことも時には必要だと思います。

 

入社2年目、初めて配属されたダム現場の盛り土
500万㎥記念イベントで(左から3人目が本人)

(いしはら・よしお)1988年京都大学大学院工学研究科修了、ハザマ(現安藤ハザマ)入社。土木事業本部環境エンジニアリング部長、営業部長などを経て2020年から現職。東京都出身、58歳。

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