2021年7月12日月曜日

【駆け出しのころ】前田建設取締役専務執行役員建築事業本部長・幡鎌裕二氏

 ◇積極的に発言し会社動かす◇

 祖父が当社の先々代・前田又兵衛社長とダム建設に携わった話などを幼いころに聞かされました。文系でしたが、当社の採用面接では「自分が営業し、いろんな建物を造りたい」という思いを伝えました。

 最初の配属先は横浜支店の総務部。当時は残業するのが当たり前のような風潮が当社に限らずあったのですが、無用な残業は控えるべきだと考え、3カ月ぐらいたったら先輩よりも先に帰るようになりました。そういう生意気なところもあったためか、短期間の支援に入った当社がJVサブの現場では、JVのスポンサー企業の関係者と反りが合わず、苦労したのを覚えています。

 現場の事務職は自分の性に合わず、やはり営業に出て会社にも利益の面から貢献したいと感じていました。入社5年目から5年余りの米国勤務が大きな転機に。ロサンゼルスで駐在員として米国での新たな拠点づくりに当たるのですが、顧客との関係などを考慮してミシガン州デトロイトに事務所を立ち上げることになりました。最初は知識もノウハウもなく、営業で回っても連戦連敗の日々。訪米から1年半ほどが過ぎ、日系の商社から受注した小さな倉庫の建設案件を機に、受注競争で負けなくなりました。

 商社の駐在員の方々とは家族ぐるみで付き合い、いろいろなことを教えてもらいました。若手でも海外では企業の幹部の方々に直接会える機会が多く、米国時代に築いた人脈が帰国後の営業にもつながっています。日本人が少ない、ミシガンが拠点だったのも、英語だけでなく、米国を学ぶという点では良かったと思います。

 思い出深い米国での受注案件は日系メーカーの工場。先方の幹部の滞在先に自社の役員を連れ出し、押し掛けて、施工者の選定時期を延ばしてプレゼンテーションさせてくれるようお願いしました。こちらの熱意が伝わり、承諾してもらい、工事も受注することができました。完成後に先方の幹部の方と食事をする機会があり、「若くてずうずうしく、甘いなとも思ったけど、あなたが一生懸命に汗をかいたからつながったんだよ。若いころを思い出して勉強になった」と握手された時はうれしかったです。

 ご用聞きの営業ではなく、本音でぶつかり、約束は必ず守ること。こちらがロジカルで絶対に間違ってない時には意見を通し、相手と大げんかして出入り禁止になったこともあります。顧客とは単に請負の関係ではなく、パートナーとして認めてもらうことが大切です。困難を一緒に乗り越えていくことで、相手もこちらをリスペクトしてくれます。

 当社には若手でもどんどん活躍できる場があります。保守的にならず、積極的に発言し、会社を動かしてもらいたいです。

入社10年目、米国勤務時代に家族と訪れたレストランで

 (はたかま・ゆうじ)1980年成蹊大学経済学部卒、前田建設入社。建築事業本部営業統括部長、同営業統括などを経て2020年から現職。東京都出身、63歳。

1 件のコメント :

  1. お母様にも良く似て居ますが体型のなで肩は幡鎌のお血筋でしょうかぁ?

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