2021年7月30日金曜日

【写真を通じ時代の断面記録】バブルが生んだ「空き地」-写真家・浜昇氏と建築史家・中谷礼仁氏がたどる

  バブル景気まっただ中の1988~90年、東京の新宿や神田で撮影した「空き地」の写真を953点収録した写真集がある。かつて立っていただろう建築物が取り壊され、ぽっかりと空いた殺風景な写真は、地上げが横行した当時を象徴的に映し出す。

 空き地を撮影した写真家の浜昇氏が、早稲田大学教授で建築史家の中谷礼仁氏と共に空き地だった場所を再訪し、バブル以降の都市の変遷や当時の人々にもたらした影響を語り合った。

 ◇開発で一変、かつての「空き地」たどる◇

 超高層ビルが広範囲に林立する西新宿エリア。浜氏によると「最も典型的に古い街が壊された」。約30年前の地図を見ると、小規模な民家や商店の密集地が広がっていた。虫食い状の空き地が連なっていた場所は再開発で建てられた巨大なビルに様変わりした。

 ビルの周囲を歩くと、敷地は不整形で高低差も激しい。「もともと都市近郊の農村で土地の形がいびつ。近代建築的なビルを建てるのに適していない」と中谷氏。再開発後のビルの配置や形状に設計者の苦労が見て取れるという。

 中谷氏は西新宿に代表される東京のビル群を「渓谷」と表現する。格子状に整理された区画にビルが並ぶ米国のニューヨークなどと異なり、「都市のゲリラ的再開発が進む東京では敷地の角度が乱雑になる」。

 するとビルが複雑に重なり視界が開けにくくなり、巨大な壁に四方を取り囲まれた奇妙な感覚に陥る。中谷氏は「東京らしさ」の魅力にもつながっている都市開発の始まりをバブル期に見る。

 神田エリアは地上げの象徴的な場所とされ、投機的な土地転売が繰り広げられた。空き地が点在した場所を訪れると、西新宿のように大規模に再開発された場所もあるが、ほぼ当時のままの敷地で建て替えられた場所も予想以上に多かった。

 江戸時代の町人地として短冊状の区画が並び、開発する地理的な条件にも恵まれている。ただ歴史ある土地柄だけに街区再編を伴う大規模開発が進まなかったのでは、と中谷氏は推測する。当時の写真や資料に当たらなければ、ここで暗躍していた人々の姿を想像するのは難しい。

 自らが暮らす街の路地を歩き回り、しらみつぶしに撮影する行動に駆り立てたものを、浜氏は「義務感と怒り」と言う。

 戦後を乗り越えてきた親世代が、子世代に財産を引き継ごうかという時期にバブル景気の地価高騰に襲われた。「築き上げたものを相続という形で収奪されるおかしさに憤怒を抱えていた」。その頃、次々と増えていく空き地にショックを受けた。

 撮影した写真はすべて、空き地を真正面から捉えたモノクロのスナップ写真だ。写真集には全953点の位置を詳細に示す地図と、撮影日を付記した。写真を通じ一つの時代の断面を記録することに徹底してこだわった。

 その後のバブル崩壊による地価暴落は、浜氏の周囲でさらに悲惨な状況を生んだ。借金返済に追われ、土地や住まいを手放さざるを得ない知人が多くいた。浜氏は「バブル崩壊の後遺症はいまだに続いている。この写真は、今でも現場の生の写真だと思っている」と話す。

 中谷氏も写真を眺めつつ「意味の無い空き地は無い」と同意する。写真には古い街の面影が自然に写り込む。空き地は、そこに存在したものが根こそぎ剥ぎ取られた傷跡のようにも見える。

 都市開発が活況な現在の東京で、バブル期と同じような事態が再び起こることを否定はできない。中谷氏はかつて空き地だった場所を巡りながら、周辺環境がどう再生されているかにも着目した。人間の幸福を第一に考える都市計画であるか、土地に住んでいた人々が再開発後も暮らそうと思えるかーー。根底にある考え方の違いで開発の良しあしが明白に出ると指摘した上で、「ちゃんとしていないものを改善していくという方法で解決していく道筋はある」と語った。

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