2021年12月21日火曜日

【駆け出しのころ】ミライト取締役兼常務執行役員・瀬尾真二氏

  ◇信頼とチームワークで◇

 幼少の頃建設会社を営んでいた父親の姿を見て育ちました。小学生だった時、夏休みは建設現場でお手伝い。当時は建設業に特別な思いはありませんでしたが、父親の働く姿にどこか憧れていました。地元岡山で土木科がある高校に進学し先生の勧めもあり、通信インフラ工事の大手で将来性を感じた当社に入社を決めました。

 半年間の研修を経て10月から正社員として土木部に配属され、千葉県習志野市で電話回線の管路敷設工事を担当しました。いきなり任された現場監督。新人でも工事全体を把握し、安全・品質管理なども含め的確に指示を出さなければなりません。不安に駆られながらも「やるしかない」と必死に勉強しました。

 2年目以降も北関東を中心に地方の工事を担当しました。5人程度でチームを組み一緒に寝泊まりする。協力会社の方々は当然自分よりも年上で、元請と協力会社の立場でしたが「君は何も偉くないぞ」と先輩によく注意されました。信頼関係を築かなければ工事をうまく進められないからです。言葉遣いや接し方に気を使い「何事にも誠心誠意で対応する」ことを心掛けました。現場の声に耳を傾け、私自身も協力会社の方々から多くのことを学びました。

 9年目以降は東京都内の現場を担当。工事長で初めて携わった杉並区の現場は推進工法を使った管路工事でした。当時はまだ施工事例が少ない工法でした。掘削状況が見えず「本当に計画通りに進んでいるのか」と不安でしたが、万全な体制で無事に工事を終えることができました。

 赤坂の国道246号線で行った共同掘削工事が特に印象に残っています。約560メートル区間で歩道全面を覆工し電話と電気、水道、ガス、下水道を収容する大規模工事です。これまでは担当工事だけに専念すればよかったのですが、複数企業との共同事業ではきめ細かい工程調整や作業の効率化が求められました。日々刻々と変化する現場。他社との協議や調整に苦労しましたが、自身の成長につながった特別な工事でした。

 長い現場人生では当然失敗もありますし、工程が遅れて現場から逃げ出したくなったことも数えきれません。1人でやれることには限界があるのです。どんな時でも仲間の支えがあったからこそ困難を乗り越えられたのだと思います。

 約20年間現場を経験し本社工事調整部へ異動になりました。全社的な業務対応や協力会社の管理、コスト管理、工事長育成などを幅広い分野を担当し、仕事に対する視野が広がりました。建設業界でもDX(デジタルトランスフォーメーション)化が進み、現場管理も効率化されてきました。でも変わらないのは「現地、現物を見る」ことです。現場には技術開発や改善のヒントが隠れています。長年の現場経験を生かし次の世代に何を引き継いでいくか。残された会社人生でしっかり考えたいと思っています。

研修期間中に同期と行った旅行先で(右端が本人)

 (安全品質管理本部長兼総合調整部長支店担当、せお・しんじ)1980年岡山県山陽高校(現おかやま山陽高校)土木科卒、大明電話工業(現ミライト)入社。ネットワーク事業本部土木エンジニアリング事業部担当課長、調達本部工事調整部長などを歴任。2017年執行役員、19年取締役兼常務執行役員、20年6月から現職。岡山県出身、60歳。

1 件のコメント :

  1. 瀬尾真二の兄瀬尾朝一です。父親の関係で建設業左官をしています父親も62 才で他界し長男朝一も建設業をしています。長男モ現在62才でがんばっています。

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