◇感動届ける喜び変わらず◇
建築の世界のことなど何も知らず、デザイン系なら頑張れるのではと思い、建築学科を専攻しました。学校の外でも建築の世界に触れたいと考えましたが、入学したばかりの学生をバイトで雇ってくれる設計事務所はありません。
なんとかしなければと考えた末、建築専門の書店に押しかけて配達の仕事をつくってもらいました。何より本や雑誌が読み放題なのがありがたく、読みあさったものです。図面も読めるようになると、パース作成のバイト代をため、夏休みや冬休みには東京に出て有名アトリエの現場事務所で模型を作らせてもらいました。所員の方とクライアントや施工関係者とのやりとりを肌で直接感じられ、設計の仕事への思いを強くしたのを覚えています。
日建設計に興味を持ったのもそのころです。「社員が株を持ち合っている総合設計事務所?」と半信半疑でしたが、アンフェアなことが嫌いな社風は今でも気に入っています。
入社1年目の東京での研修期間中、指導役だったのはまだ平社員だった亀井社長。物静かでスマートな雰囲気はいまと変わりません。へりくつと質問攻めの私に忙しくても遅くまで付き合ってくれました。
日々の仕事は残業も含めて楽しかったですが、ほぼ役に立っていなかったと思います。終業後には、はやりの海外建築家が執筆したものを翻訳したり、知人のアパートに集まってオープンコンペに向けた作品づくりをしたり、今にして思えば会社に無断でむちゃなことをしていたものです。
翌年大阪に移っても生意気なところは変わらず、しばらくして大きな現場に監理係員として放り出されます。この現場での2年間が大きかった。いろいろな用途やプログラムの複合建築で、技術もマテリアルも多種多様。工区も複数に分かれており、百戦錬磨の所長さんから職長さんたちまで、多くの方が先生でした。一つのデザインがいろいろな方法で実現できること、スピード感やコスト感覚など、勉強してきたことがようやく体の中で一つにつながったように感じました。
設計部に戻ってからさまざまなプロジェクトに出会い、ずいぶん自由に取り組ませてもらえるようになりました。景気のいい時代ではなかったですが、どんなプロジェクトも面白くする方法がきっとあるはずです。建築は一人でできるものではなく、芸術的なものですが芸術ではありません。最初に視野を狭めないためにも、いつも真っ白に戻ってよく見わたすところから始めようと心掛けています。
コロナ禍で大変な時代ですが、若い人たちには建築が進化する機会と捉えてほしい。リアルとバーチャルが混在する世の中は、次元の間を行き来する建築家が職能を発揮する好機。クライアントやユーザーに感動を届ける喜びは今も昔も、そしてこれからも変わりません。
入社1年目。指導役だった亀井社長(写真㊧)に質問攻めの日々を過ごした |
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