2020年6月8日月曜日

【駆け出しのころ】中設エンジ執行役員大阪事業本部長・渡辺裕正氏

 ◇百年続く誇り持てる企業に◇

 実家がエレベーターの保守・メンテナンスを手掛ける設備会社を営んでおり、将来は建設業に進もうと思っていました。大学で専攻したのは建築設備工学。教授の推薦もあり、中央設備エンジニアリング(現中設エンジ)への入社を決めました。

 最初に配属されたのは東京本店技術部プラント建設課。現在の当社主力事業である食品工場事業の源流ともいえる部署です。スタートしたばかりで私を含め陣容はたったの4人。当時の会社はビルなど一般設備を主に施工していたので、ほそぼそと仕事をしていたというのが実情でした。

 食品工場のプラントは建築設備工学とはやや畑違いでした。一から勉強です。最初、上司に連れて行ってもらったのは牛乳とチーズの製造工場。上司たちが開拓したプロジェクトで、原料が製品になる仕組みを見て学ぶわけです。

 当時の上司は、現場に私一人を送り出し「行けば分かるから」と背中を押してくれました。失敗を許容する度量の大きさに今も感謝しています。

 上司からは「言葉が分かって初めてお客さまに信頼される」とよく諭されました。お客さまの商品や、製造環境、生産ラインの構築などについて現場をはじめさまざまな方から多くを学びました。もちろん教わる前に専門書をひもといて予備知識を蓄え、核心部分の理解に努めました。専門用語が理解できなければ、顧客のニーズを把握できないからです。

 食品工場事業はその後少しずつ規模を拡大し、1990年代前半に大手コンビニエンスストアが自社ブランドで展開するパン工場の製造ライン・建設を獲得することに成功しました。私は専門学校に通ってパン作りのイロハを学び、製造ラインや建設工事に役立てました。

 製品を理解して施設を造る。生産ラインから設備や建屋を構想する。当社のスタイルはこの案件を契機に確立されました。主力事業が誕生する分岐点にもなりました。長年設備を中心に建築物の設計・施工を自前で担ってきた知見がベースになったことも再認識できました。

 今後も当社はお客さまの立場に立ったものづくりに取り組み続けます。新しい分野にチャレンジできる社風もあります。若い世代に挑戦しがいのある分野を提案する仕組みを整えたいとも考えています。食品分野を足掛かりに例えば、養殖や畜産など1次産業の工場建設も面白いと思います。後輩たちには100年間続く、誇りが持てる総合エンジニアリング企業を目指してほしいと、大いに期待しています。

入社5年目、東京本店での一枚(左端が本人)
(わたなべ・ひろまさ)1985年関東学院大学工学部建築設備工学科(現在の建築・環境学部建築・環境学科)卒、中央設備エンジニアリング入社。エンジニアリング本部長代行、審議役などを経て今年4月から現職。東京都出身、57歳。

1 件のコメント :

  1. 就活生や若い社会人に読ませたい話しですね。失敗したくないから「行けばわかる」と言われても、大学で学んだ屁理屈を並び立てて言い訳して現場に行かない。だから、失敗もしないから「自分は優秀だ」と勘違いする。
    「失敗も許容する会社」と言うことも重要。「急がば回れ」で失敗しても省みれば進歩するもの。ただ、失敗を他責にして省みない人も少なくない。
    記事の中には大学の専門外も勉強した由。ある人の意見で「社会人になって必要なのは〈学力〉。大学力や受験力ではなく、学ぶ力だ」とあった。
    若いうちは現場で失敗しながらもトライして、学びながらスキルを磨き、その積み重ねたスキルが幹部になった時にセンスとして生かされると思う。
    そんな事をこの記事から感じた。

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