2020年6月22日月曜日

【駆け出しのころ】松井建設執行役員名古屋支店長・佐野祥治氏


 ◇失敗から学び成長を◇

 地元で工務店を営んでいた父親の姿を見て育ち、将来は設計士になりたいと思っていました。不景気で家業も厳しく、大学は夜学で通い、昼間は製作金物の図面を描く仕事をしながら建築を学びました。

 就職活動もオイルショックによる景気低迷が長引き、志望していた設計事務所の採用は厳しい状況でした。昼間勤めていた会社から取引先の建設会社を紹介してもらい、縁あって松井建設に入社します。

 新人時代の研修は現場が基本。杭打ちの測量作業でトランシットをのぞく日々が続きました。入社3年目に配属された研究施設の実験棟建築工事では鉄筋担当を任されます。鉄筋の定着のことなど全く知らず、専門書を購入して勉強しながらの施工管理は大変苦労しました。

 正直なところ、新人のころは毎朝、現場に行くのが憂うつでした。ネクタイを締めて図面を抱えながら現場で指示を出す-。学生時代に勝手に想像していたゼネコンの技術者のイメージと、作業員らと一緒に汗を流しながら働く、実際の職務にギャップを感じていました。

 入社1年目に結婚し、共働きの妻からは「仕事が嫌ならやめればいい」と言われましたが、なかなか踏ん切りは付きませんでした。モヤモヤした日々が続きますが、子どもができたことを機に、腰を据えて今の仕事を頑張ろうと前向きになれました。

 今は働き方改革が進められていますが、当時の現場勤務はなかなか休みが取れず、子どもにも寂しい思いをさせました。苦労も多かったですが、足場をばらして完成した建物の姿を目にすると、感慨深いものがあります。最後に得られる満足感、充実感が仕事を続けるモチベーションになっていました。

 高名なアトリエ建築家が設計したホールや、初の現場所長で鉄骨の調達に苦労したバブル期の案件など、東京圏を中心に多種多様な現場を回り、それぞれに思い出があります。厳しい条件のマンション工事では大きな赤字を出し、悔しい思いもしました。

 その後、内勤の積算部門に移り、現場勤務とは違うやりがいを感じました。最初にもらった図面を基に積算した結果、受注できるかどうかが決まる。過去の現場経験も生きてきます。

 周りの人たちの応援があったから、今の自分があります。現場でも内勤でもコミュニケーションが大切。意思の疎通によって周囲との信頼関係が深まり、問題が起きても早期に手が打てます。

 私もいろいろ失敗しました。人は必ず失敗するものです。若い人たちには失敗をただ後悔するのではなく、そこから学び、成長につなげてほしい。誰もが話しやすい環境づくりを進め、コロナ禍でもコミュニケーションを密に取れるよう心掛けていきます。

入社1年目。東京・白金台の八芳園で結婚式を挙げた
(さの・よしはる)1981年日本大学理工学部建築学科卒、松井建設入社。名古屋支店副支店長などを経て2017年から現職。東京都出身、62歳。

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