◇「営業をやってもいいのでは…」◇
もともと経理の仕事に就きたいと考え、東亜建設工業に入社しました。本社の財務部(現経理部)に配属され、初めにやらせてもらったのは支払い手形を切って各支店に送る仕事です。そうして2、3年がたったころ、上司との面接で仕事について聞かれたので、「とにかく暇で、やることがありません」と話しました。当時は本当に仕事が少なく、空いた時間をどう過ごすかが大変でした。
そうしたら後日、私の仕事が「これは何なんだ」と一瞬思ったほどに増えたのです。後になって分かったのですが、退職された男性が担当していた仕事を任せていただけたのです。上司の英断でした。それまでの支払い手形だけでなく、借入金関係のことなどもやらせてもらえるようになり、仕事の幅が飛躍的に広がりました。
財務部での仕事を通じて資金繰りや運用の知識も得られたことが、現在の仕事である建築営業で資金計画も含めたお客さまへの提案などに大いに役立っています。
財務部には13年勤務しました。次に開発部へ異動したのですが、そのきっかけになったのが、総合職になるための役員面接でした。「女性が活躍できる場はあまりない」といった厳しいことを言われ、「営業をやってもいいのでは…」とつぶやいたんです。自分のことというよりは、以前から営業に女性がいてもいいのではないかと考えていたため、つい口に出たのだと思います。
そうして開発部に異動し、医療福祉のチームに配属されました。会社が新規分野として取り組むために発足させていたチームです。ここでの仕事が今につながっています。ですが、異動したころはあまり忙しくなかったため、できるだけ多くの基礎知識を蓄えておこうと、専門書を片っ端から読みました。
いろいろな提案活動を行っていたのですが、最初の5年ほどは成果を上げられなかったため、会社からは、やはり女性の総合職は難しいと思われていたかもしれません。
私は、上司によって人の考え方は変わり、飛躍できるチャンスも生まれてくるのだと思っています。特に女性は引き上げてくれる人がいないと芽を摘まれてしまい、仕事の内容も違ってきます。私はそういった意味で良い上司の方々に恵まれてきました。
私たちの仕事では、医療福祉に関する知識がないと、お客さまとの会話もままなりません。自分の知識を人にコピーして刷り込めるわけもなく、それぞれが勉強していくしかありません。そして分からないことがあれば聞く。これが基本です。会社ではよくそう話しています。
(おきやま・ともこ)1975年3月日本女子経済短期大商学部卒、同12月東亜建設工業入社。第二営業本部第五営業部担当課長、建築営業本部ウエルフェア事業室担当部長、同ウエルフェア事業室長、建築事業本部ウエルフェア営業部長などを経て、13年4月から現職。東京都出身、61歳。
入社した頃に同僚と(右端)。財務部に勤務していた |
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