今月初めに岩手県宮古市を訪れた。内陸の盛岡と沿岸の宮古を結ぶJR山田線が運休のため、約2時間かけてバスで移動した▼地域の貴重な交通機関とあって車内はほぼ満席。隣にご婦人が座った。話を聞くと釜石市の方で、盛岡に住む娘さんに子どもが生まれ、1週間滞在した帰りとのこと。携帯電話で撮影した孫の写真を温かいまなざしで見つめていた▼ご婦人は釜石で漁業を営んでおり、東日本大震災で仕事道具や住まいなどをすべて失ったという。幸いにも家族全員無事で「私は運がいい。恵まれている」との言葉に、何も返せず、ただうなずくしかなかった。「43年前に“山から海に”嫁いだのは同級生で私だけ。冒険心旺盛なの」という明るさに救われた▼漁業の仕事もご主人と長男とで再開。今春には移転した高台の土地で新しい家が着工する。「年内に新居に移り、来年には新しい暮らしが始まる。これからだよ」。前向きな姿勢が印象に残った▼被災地の復興は道半ばとされるが、一歩ずつ着実に前進しているのも確か。復興の原動力となっている被災者一人一人の強い思いと姿に学ぶことは多い。
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