◇足跡が残せる仕事にやりがい◇
学生の時に神奈川県の土木事務所に研修を兼ねてアルバイトに行きました。そこで見学させてもらったダム建設工事のスケールの大きさがとても印象的でした。
入社して最初の現場は東北新幹線の駅舎建設で、高架工事を担当します。先輩に付いて測量を行ったり、工事写真を撮影したりしました。当時は電卓が出始めたころです。私は自分で持っていた電卓を使いたかったのですが、先輩から「計算はこれでやるんだ」と小さなそろばんを渡されたのを覚えています。
続いて青森のダム建設を担当します。JVを組む他社の方から教えていただいたのが「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という格言です。分からないことがあったらどんどん聞いて知識を増やす。でもすぐに聞くのではなく、事前に自分で調べてから尋ねるようにとの教えでした。
ダムの竣工を記念して建てられた碑には、施工従事者として私の名前もあり、完成してから一度だけ見に行ったことがあります。自分の足跡が残るのですから、非常にうれしい思いでした。
この工事の後、秋田県内のシールド工事現場に赴任します。実は閉そく感のある空間が苦手で、入社した時からシールド工事だけは担当したくないと思っていたんです。ところが、実際に携わると、自ら測量して指示書を作成し、これに基づいて掘進が行われて結果を見られることに大きなやりがいを感じたものです。
ここでは大きな地震にも遭遇しました。シールドマシンが立坑に到達してから数週間後だったでしょうか。トンネル先端部にいると突然、立坑の切梁が揺れ始めたんです。1983年5月26日に起きた日本海中部地震でした。最初は地震とはまったく分からず、職長に「揺らすなよ」と言ったくらいです。慌てて階段を駆け上がって地上に出て、地割れした箇所をまたぎながら事務所に戻った記憶があります。
若いころは何かと大変なことも多かったですが、完成した時の喜びがありました。トラブルへの対応などいろいろと苦労して竣工を迎えた経験は今に生きています。若い人たちには、つらいことだけをイメージして諦めてしまうのではなく、ものづくりの面白さややりがいをもっと感じてほしいです。
最初は歯を食い縛って頑張ることもあるでしょう。誰だってそうして土木の面白さが分かっていくのだと思います。何の目的でつくり、どう社会に貢献するものなのか。基本知識を身に付けてもらうとともに、こうしたことをもっと教えていかなければいけないと考えています。
(もり・としゆき)1979年中央大理工学部土木工学科卒、フジタ工業(現フジタ)入社。首都圏土木支店土木部次長、東京支店土木部長、横浜支店副支店長、執行役員東北支店長兼復興事業推進委員会副委員長などを経て、16年現職。神奈川県出身、60歳。
秋田県内のシールド現場で (前列右端が本人) |
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