国を支えるインフラは建設業の存在なしに整備できない |
準大手ゼネコンに勤務し、四国地方の橋梁の工事現場で働く坂口良二さん(仮名)は今、10人のベトナム人技能者を育てている。研修の担当者として指名されたのは1年前。
入社から15年。中堅と呼ばれる施工管理技術者になったが、自分の技量が優れていると思ったことは一度もない。「日本人の若手を育てるのでさえ難しいのに、相手は言葉も文化も違う外国人。彼らの教育を始めてからは、上司を恨んだことも一度や二度ではない」。
まずは言葉が壁になった。ベトナムで日本語を学び、来日後も研修機関で専門用語などを学んだという触れ込みだったが、最初はほとんど通じず、教えても覚えない。日本人の職人と積極的に話す姿も見られない。
何度教えてもすぐに忘れてしまうのはなぜなのか。思い立って訪問した宿舎で答えが見つかった。仕事を終えて宿舎に戻れば、仲間と共にベトナム語で話し始める。これでは日本語が上達するわけがなく、日本人と接しようとも思わない。
仕事は遅々として進まず、協力会社の職人から「足手まといだ。教えてほしいなら給料を上げろ」とすごまれた。故郷から遠く離れた異国で苦労をさせるのは酷とは思ったが、「これもベトナムの将来のため」と心を鬼にして仲間同士を引き離した。作業現場も3カ月ごとに変え、多様な工種を学ばせることで仕事に集中させる環境を整えた。すると、日増しに日本語力と技能が上がり始め、職人と積極的に意思疎通する姿も見られるようになった。
安堵した心に隙間風が吹き込んだのは、先に教育に当たっていた先輩技術者に「何を教えても無駄だよ。むなしくなるよ」と暗い目で言われた時だ。彼らに黙々と教え込んでいた先輩が漏らした言葉の意味が分かったのは、ベトナムを訪問した半年後のことだ。
すべての研修カリキュラムを終えて帰国した先輩技術者の教え子たちが駆け付けてくれたが、1人を除いて建設業から離れていた。その1人も大手の建設会社に移るという。やるせない気持ちが一気に押し寄せた。ベトナムの職人の給料は、日本とは異なり、他産業と比べても高い。にもかかわらず、辞めてしまったのはなぜなのか。
「給料にこだわらなければ、日本語を話せるだけで食べていける。ベトナムの建設現場は夜間も働かされるし、きつくて危険。そんな仕事に就きたいとは思わない」。中の一人が漏らした一言に泣きたい気持ちになった。
日本に帰国後、落ち込む気持ちを奮い立たせて彼らと向き合うが、頭をよぎるのはベトナムで見た光景だ。「どれだけ教え込んでも辞めてしまうのか」。現場でふとそうつぶやくと、最も若い研修生の2人が「辞めませんよ」と厳しい口調で反論してきた。
「友達は工事現場で死にました。日本の安全技術があれば事故は起きなかった。ベトナムにこの技術を必ず伝える」「生まれ育った町は2本の川を渡らないと都会に行けなかった。橋が架かり、わずか10分でつながった。ベトナムの発展に建設は欠かせない」。勢い込んで話す2人の肩を抱いて泣いた。
技術や技能を教え込む前に「何のために現場で働くのか」を教えることをしなかった自分が恥ずかしかった。「建設業の必要性」「建設業で働く価値」「国を支えるインフラを築く崇高な仕事」-。今は、どのような表現や言葉でその思いを伝えるのかを模索する毎日だ。
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