2016年8月8日月曜日

【これからも読者とともに】紙面でたどる建設産業史-本紙、8月8日に19000号発刊

 日刊建設工業新聞はきょう8日付の発行で1万9000号を迎えました。1928(昭和3)年の創刊以来、建設産業界の皆さまから取材活動などにご理解とご協力を頂き、全国を網羅する日刊建設専門紙として、建設プロジェクトや企業・団体、建設業行政などに関わる専門分野のさまざまな情報を提供してきました。読者と共に歩んできた88年であります。

 1万9000号の発行を記念し、バックナンバー(第1面)でこれまでの足跡をたどってみました。それぞれの掲載記事からは、当時の建設産業界を取り巻く環境や直面する課題などが分かり、近代建設産業史の一端をひもとくことができます。

 本紙は2018年に創刊90周年、東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年には2万号の発行を迎えます。社会構造が大きく変化していく中でも、国土強靱(きょうじん)化をはじめ人々が安全で安心して暮らしていくための社会基盤の整備や維持・更新、都市・まちの再生や地方創生などに果たす建設産業の重要性はますます高まっていきます。

 専門的な視点から建設産業界の発展に役立つ情報を的確かつ迅速に発信する-。これからも読者と共に歩む本紙の変わらない姿勢です。

【500号】1948(昭和23)年8月13日

 広告「炎暑を克服して一路国土建設へ」からは国土づくりにまい進するゼネコン各社の意気込みが伝わってくる

 【1000号】1951(昭和26)年5月11日

 建設業が近代化へ大きく歩み始めた時代。社説ではプレキャストコンクリートを取り上げている。この頃までは1面コラムの題字が「廻転窓」(現「回転窓」)だった

 【3000号】1958(昭和33)年1月11日

 第1次岸信介内閣が衆院解散に踏み切る時期を、建設業界は来年度予算の成立と公共事業の円滑な実施という観点から注目していた

 【5000号】1964(昭和39)年9月9日

 2級国道の直轄移管路線をめぐり、関係省庁と地方自治体の調整が進んでいないことをトップ記事に。建設省直轄の矢作ダム建設事業が始動へ

 【5026号】1964(昭和39)年10月10日

 東京五輪の開幕日。膨大な量の関連工事を間に合わせた建設業の功績を「大任果たした建設業」の見出しで報じた

 【10000号】1981(昭和56)年7月27日

 建設現場から発生する残土の処理対策がクローズアップされていた。東京建設業協会が残土問題特別委員会を開き、残土処理費の実態調査を実施することを決める

 【15000号】1999(平成11)年12月21日

 国会等移転審議会が首都機能の移転先候補地を「栃木・福島」「岐阜・愛知」の実質的に2地域とする答申をまとめ、小渕恵三首相に提出した

 【18000号】2012(平成24)年6月11日

 東日本大震災であらためてクローズアップされた防災・減災。シリーズ「インフラの価値」では23人の自治体トップにインフラの役割や価値などを語ってもらった。

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