2017年4月3日月曜日

【駆け出しのころ】日特建設取締役専務執行役員管理本部長・迫田朗氏

 ◇教えてくれたのは「なぜ造るのか」◇

 昭和56(1981)年4月に事務系で入社した私は、本社で1週間ほどの研修を経て名古屋支店に赴任しました。支店では事務全般が仕事となりますが、赴任した年の暮れに研修を兼ねて山梨の甲府市で行われていた下水シールド工事の現場に配属されました。当社が薬液注入工事を担当していた現場です。事務職とはいえ工事写真・チャートの整理や測量の補助なども行い、現場の仕事は驚きの連続でした。

 当社の所長に教えていただいたのは、工事の目的や、完成後に使われる方々にはどのような利便性があるのかといった内容でした。どう造るのかではなく、エンドユーザーの視点に立った説明を聞けたことがとても印象的でした。

 そうした利用者のことも考えて仕事をしていると、だんだんと一日が楽しくなっていったものです。3カ月ほどたって支店の事務に戻るよう言われた時は、できることならこの現場でもっといろいろな経験をしたいと思いました。

 入社4年目から15年間、本社経理部で経理や財務などの仕事を担当しました。この間に日本経済は金融危機に直面するなど激しく変動し、仕事は多忙を極めました。しかし勉強するほど知識は広がり、それを実践に応用できるのは楽しいものです。上司や仲間にも恵まれ、課長になった時の研修では最後のリポートに「会社に来るのが楽しくてしょうがない」と書いたのを覚えています。

 これまでに大きな転機となった一つが、東京支店への異動です。06年のことでした。本社で長年にわたり「会社のため、皆のために」との気概で仕事をしてきたつもりでしたが、支店業務を通じて、どこか現場の肌感覚と離れてしまい、初心を忘れつつあったと気が付けたのです。原点に戻るよいきっかけとなりました。

 東京支店では年末の仕事納めの日、皆で飲みに行き、そのまま現場の宿舎に泊まったことなども楽しい思い出です。その後に再び本社勤務となりましたが、当時の若手社員が結婚や出産の報告をしてきてくれた時は本当にうれしく思いました。

 会社では事務担当者が集まる会議などで、若い人たちに自分の仕事が財務諸表等にどう反映され、さらにそれをどう見て投資家や金融機関の方が判断するのかまで想像するよう言っています。だからこそ、正確な仕事が求められるのです。

 たとえ成果品の一部にしか携わっていなくても、最終的に誰がどう利用するか、イメージをどんどん膨らませていってほしいと思います。そうすれば仕事を楽しめるようになり、多くのことが身に付いていくはずです。私が新入りの頃、現場の所長に教えてもらったことと同じであるかもしれません。

 (さこだ・あきら)1981年日本大学商学部卒、日特建設入社。事務管理本部経理部次長、社長室長、執行役員管理本部総務部長、東京支店副支店長兼事務管理部長、常務執行役員管理本部副本部長、取締役常務執行役員管理本部長などを経て、15年から現職。山口県出身、60歳。

入社1年目に研修を受けた
甲府市の下水道のシールド工事現場で

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