2021年4月12日月曜日

【駆け出しのころ】東鉄工業執行役員内部統制室長・小林邦夫氏

  ◇それぞれの現場で「一所懸命」◇

 長男で地元志向が強かったこともあり、当初は内定をもらった栃木の建設会社に就職しようと思っていました。実家の近所に住んでいた当社宇都宮支店(当時)の方に話を伺う機会があり、もう少し広いエリアで仕事をすることへの関心が強まりました。

 昔は転勤が少なかったことから、入社から19年異動なく宇都宮支店で勤務しました。最初の現場は渡良瀬遊水地の護岸工事。現場所長や主任も30歳以下の若いチームの一員となり、協力業者の方々との宿舎暮らしもアットホームな雰囲気ですぐに順応できました。

 仕事では測量の怖さと大切さを学びました。洗掘防止のためのシートパイルを打つ際、高さと通りを明確にする丁張りがいつの間にかずれていたことに気付かず、打ち込み作業の途中で所長に指摘されました。周辺が軟弱地盤であり、くい打ち用の重機の走行によって地盤が動いたことが判明。幸いにも打ち込んだシートパイルは基準内に収まっていたので事なきを得ましたが、学校では教わらないことが現場では起きるのだと肝に銘じました。

 2年目以降、道路や鉄道、河川などさまざまな現場を経験してきました。特に線路下に道路などを通す横断工事の現場勤務が多く、各現場で異なる特殊工法を経験できたのは技術者として大きな財産になったと思います。

 宇都宮外環状線をJR宇都宮線の下に通す工事は、30代後半で主任として勤務した思い出深い現場の一つ。県が開通時期を対外的に発表し、線路下とアプローチ部周辺の百数十メートルの区間を20カ月で完工させなければならないという厳しい工程となりました。

 ライフラインや他の工事との調整を円滑に進める上で、地元でさまざまな工事に従事しながら築いた多分野の方々とのつながりが生きました。時間がない中でヤードを確保するために工事用桟橋を設置したり、各工種を無駄なく回す施工サイクルを構築したりするなど、工期短縮に知恵を絞りました。

 対象区間の事業を受託したJR東日本の東京工事事務所は、普段から大きな企業と付き合っており、小さな地方支店にはやれないのではないかといった雰囲気を感じました。地方でも技術力で負けていないところを見せてやろうと発奮し、無事に開通に間に合わせることができました。

 現場ごとに仕事内容や施工環境、事業者も異なります。その場その場で誠実に「一所懸命」やることを心掛けてきました。でき上がった道路などを家族と通った時はうれしかったです。

 入社3年目ごろから一人で現場を任されることも多く、苦しかったですが技術者として力が付きました。若手にも悩みながら、まず自分で考えてほしい。その積み重ねが自信となり、やりがいにもつながります。

入社1年目、宇都宮支店の社員旅行で
(前列右端が本人)

 (こばやし・くにお)1978年芝浦工業大学工学部土木科卒、東鉄工業入社。執行役員八王子支店長や東鉄技術学園長、東京土木支店長などを経て2020年6月から現職。栃木県出身、65歳。

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