2018年1月15日月曜日

【駆け出しのころ】小俣組執行役員積算購買部長・渡部慎哉氏

 ◇夢と希望を与えられる環境に◇

 専門学校を卒業する当時は建設業界の景気がまだ良かったこともあり、「何とかなるだろう」とすぐに就職する気はありませんでした。しかし、これを知って福島の実家から出てきた父親に「就職しろ」と怒られ、学校に頼んで紹介していただいたのが小俣組です。入社が決まったのは入社式の1週間前で、横浜市にある会社の近くの寮に急ぎ引っ越しました。

 最初に配属されたのは、福祉センター新築工事です。新入社員の私はこの現場でいろいろなことを教えていただいたはずなのですが、実は失敗した記憶しか残っていません。

 それは黒いペンキの入った袋を担ぎながら歩いていた時のことでした。ふたが開いていたことに気付かず、新しい床にポタポタとペンキをこぼしながら歩いていたのです。それも相当に長い距離でした。この後、私の仕事はペンキの跡を消すことで、1カ月以上かかりきりでした。今でもあんな大失敗をしてよくクビにならなかったものだと思っています。

 入社から4年ほどたったころ、JVでスポーツセンター新築工事を担当しました。それまで携わった工事と比べても規模が大きく、いろいろと勉強になる現場でしたが、私は工事の終盤に椎間板ヘルニアを発症し、長く仕事を休みます。何とか竣工するまで担当できたのですが、歩くのも痛く、これでは現場勤務を続けるのは無理だろうと積算購買部に異動となりました。入社してから「早く現場所長になりたい」との思いが強かったこともあり、この時は正直に言うと「天国から地獄に」といった心境でした。

 でもこの異動が大きな転機となりました。積算を一から勉強し直すことができましたし、手拾い、手計算、手書きで行っていた積算業務がOA化され、大幅に作業効率が上がっていく時期とも重なり、次々と新しいことに取り組むことができたのです。

 私が行った積算に対し、現場では「所長もやったことがないのに」と思う人がいたかもしれませんが、そうしたことを言われないように頑張ってきたつもりです。それに積算業務に携わり、すべての現場を俯瞰(ふかん)して見ることができるようになったのはとても大きく、非常にやりがいを感じられる仕事でした。

 国を挙げた働き方改革などが進む中、特に若い人たちに夢や希望を与えられるよう労働環境の改善に取り組んでいくことが必要です。若い人たちには、新しいことや初めてのことなど何事も主体性を持って行動できる人になってほしいと期待します。これは若い世代に限りませんが、できない理由を並べるのではなく、どうやったらできるかを考えていくことが大切だと思っています。

 (わたなべ・しんや)1991年中央工学校建築設計科卒、小俣組入社。工事部で福祉センターやスポーツセンターなどの新築工事を担当した後、97年積算購買部に異動。同部主任、課長代理、課長、部長を経て、14年10月から現職。福島県出身、48歳。

最初に配属された建築工事現場で(後列左から2人目)

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