2018年2月7日水曜日

【回転窓】伊能忠敬没後200年に

「推歩」の意味は辞書に「天体の運行を推測すること」とある。あまりに熱心に天体を観測していたため、師事した幕府天文方・高橋至時に付けられたあだ名が「推歩先生」であったという▼江戸時代に全国を初めて測量して日本地図を完成させた伊能忠敬がその人。50歳で江戸に出て至時の弟子となり、天文学・暦学の勉強と天体観測に明け暮れていたようだ▼そうして55歳になった忠敬がなぜ全国測量を始めたのか。至時から子午線1度の長さを求めるには少なくとも蝦夷地までの距離計測が必要と助言されたためで、〈地図作成は、当初は幕府の許可を得るための口実であった〉と日本測量協会顧問の星埜由尚氏が漫画小冊子『測量人 伊能忠敬』(月刊『測量』別冊、日本測量協会発行)で解説する▼今年は忠敬没後200年。郷土の偉人が残した功績を後世に伝えようと、千葉県香取市では忠敬の銅像を建立する事業も進行中。5月頃にはJR佐原駅南口ロータリーに完成する予定だ▼偉業というのは内容もさることながら、いかに成し遂げられたかに学ぶことが多い。推歩先生の歩んだ道をたどる面白さもそこにある。

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