子どもの頃、友達と一緒に鉄道の写真を撮りに行ったり、HOゲージの鉄道模型を走らせたりするのが何よりの楽しみでした。将来は鉄道に関わる仕事がしたいと思っていましたから、東鉄工業への就職も迷わず決めました。
入社後すぐに配属されたのは、工事が最盛期に入っていた上越新幹線の大清水トンネル(群馬県みなかみ町~新潟県湯沢町)のスラブ軌道を整備する現場です。全長22キロを超える大清水トンネルは当時、山岳トンネルとしては世界最長で、毎日先輩や協力会社の人たちに教わりながら、仕事を覚えていきました。
朝暗いうちから現場に行き、帰りが遅くなれば、一日中お日さまを見ないで過ごすこともありました。豪雪地帯なので、朝晩に除雪作業を行うなど、大変な現場でしたが、新幹線という最先端の仕事に携われることには大きなやりがいを感じていました。
その後、営団地下鉄(現東京メトロ)の直結軌道工事、光が丘公園(東京都練馬区)の地下に整備された都営地下鉄大江戸線の車両基地の線路敷設、新幹線の上野駅や東京駅、JR中央線東京駅の切り替え工事など、数々の現場を担当し、たくさんの経験を重ねました。
どんな時でも、仕事の基本は「見る」ことです。最初の現場で先輩に教わりました。現場で工事がどのように行われているのかをしっかり見て、分からないことは本で調べる。そして再び現場を見るのです。そうした繰り返しの中で、一つ一つの課題を乗り越えていきました。
施工の提案を行う時も、現場の状態がどうであるかを知らなければ、最適解を探し出すことはできません。そうしたことを常に意識するよう、今は若い人たちに伝えています。
現場を見るという習慣が身に付いたせいで、今も電車を待っているとホーム上から軌道のことが気になってしまいます。上越新幹線に乗って大清水トンネルを走っている時なども、乗り心地が気になります。仕事柄、いつも軌道のことを考えています。
支店のトップに就いたのは2008年10月。水戸支店長としてです。11年3月11日の東日本大震災で事務所が大きな被害を受け、使用できなくなってしまいました。車で10分ほどの水戸営業所は被害がなく、すぐ、そこに事務所を移すことを決めました。トップが迷わず判断することが大切だと考えました。
土木、建築、線路の部隊がそろう水戸支店では、小倉雅彦社長(現会長)の指揮の下、大きな被害が出た常磐線の復旧など、JR東日本と工程を詰めながら進めました。社員、協力会社との状況確認を含め、どんな時もコミュニケーションが重要だと、この時に改めて実感しました。
(ひだ・かずお)1978年日大生産工学部土木工学科卒、東鉄工業入社。一貫して線路工事に携わり、2005年線路本部線路部長に。08年執行役員水戸支店長、13年同東京線路支店長を経て、16年6月から現職。神奈川県出身、62歳。
30代前半に行った旅行先での1枚 |
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