2019年12月16日月曜日

【駆け出しのころ】佐藤渡辺取締役常務執行役員営業本部長・原淳一氏

 ◇一日一日を愚直に取り組む◇

 中学生のころに映画「黒部の太陽」を見て、土木系のゼネコンで働きたいと思いました。大学に入る時には田中角栄の「日本列島改造論」がブームで、土木工学科の人気は高かったです。けれども就職活動はオイルショックの影響を受け、前年まで名だたるゼネコンから引く手あまただった状況が一変し、意中の会社に入るのが難しくなりました。

 縁あって渡辺組(現佐藤渡辺)に採用されました。当時は会社名からゼネコンだと思い込んでおり、入社後の社員研修の時に道路舗装の会社だということを知りました。

 研修後の初任地は関東圏を希望していましたが、福島のテレビも映らないような山奥の現場でした。所長からはとにかく3年、合材プラントの品質管理をやるように言われました。現場の施工管理をやりたかったこともあり、最初のころは仕事を続けていけるか迷いもありました。ある晩、舗装現場に行った時、まだ車が通っていないアスファルト舗装とラインの美しさに感動し、今の仕事を頑張ろうと思いました。

 3年目で福島の国道拡幅工事に配属されました。突貫作業で本当に厳しい現場で、理髪店に行く暇もないぐらいでした。髪やひげも伸ばしっぱなしの姿になり、周囲からは山にこもっていたのかと冗談交じりで言われたこともありました。最初にこれほどつらい現場を経験し、乗り越えたことは技術者として大きな自信となり、どんな工事でも一日一日を愚直に取り組めば必ず終わることを学びました。

 その後は40代半ばまで高速道路の現場を中心に回りました。いくつかの現場では施工を担当したJVの関係者や発注者の方々といまでも集まり、交流が続いています。

 現場技術者として駆け出しのころ、所長に「お客さんの注文に合わせて、より良いものを造るのは当たり前。その中でもうけを出すのがわれわれの使命だ」と諭されました。工事の進め方も固定観念にとらわれず、常に最善の方法を考えることが重要です。いろいろなところにヒントは隠れています。

 最後に所長を務めた九州の現場では、自分が学んできたことの集大成にしようと気合が入りました。演劇に例えれば、監督や俳優だけで作り上げるのではなく、観客も巻き込むような現場にしようと思いました。

 発注者や現場に関わるすべての人たちが同じ思い、立場で一緒になって考え、喜び合える現場となりました。そうした現場の雰囲気を作り上げるには、やはり誠意が大切です。誠心誠意を持ってコミュニケーションをとることにより、相手から信用・信頼が得られます。

入社2年目ごろ、職場で行った慰安旅行での一枚
(前列右から4人目が本人)
(はら・じゅんいち)1977年芝浦工業大学工学部土木工学科卒、渡辺組入社。執行役員工事本部工務部長、同施設工事支店長、常務執行役員営業本部長(現任)を経て2017年6月から現職。静岡県出身、65歳。

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