2019年12月2日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・241

災害が発生した時、いち早く現場へ駆けつけるのも地域建設会社の役割だ

 ◇生まれた町とともに生きる◇

 地方の建設会社で働く重松潔さん(仮名)。映画「黒部の太陽」の影響もあり、土木工事を手掛ける地元の会社に絞って就職活動した。生まれ育った町は県庁所在地に隣接していた。自然も多く、適度に栄えていたこともあり、とても気に入っている。大学までずっと地元にいたため、他の地域に就職するという選択肢はなかった。

 就職先に選んだのは地元の老舗建設会社。社長は4代目で、本社を構える県内の工事に的を絞り、堅実経営に徹している。社長は現場の繁忙期が終わった時など現場に出ている社員に声を掛けてくれ、協力会社の職人も一緒に街へ繰り出す親分肌だ。

 入社当時は地元企業の中でも安定した給料をもらっていた。これといった趣味もなく、残業代や休日出勤代も加わり、給料の大半は貯金に回すほど余裕のある生活だった。「人生で一番裕福な時」と当時を懐かしむ。

 入社5年目に同じ会社で働く女性と結婚した。ほどなく2人の子宝に恵まれた。資格の取得にも次々と挑戦。1級土木施工管理技士を取得してからは、掛け持ちで多くの現場を任された。仕事も家庭も順風満帆だった。

 生活が一変したのは2009年。政権交代の影響もあり公共事業の廃止や予算の大幅削減が現実になった。一緒に仕事をしたことのある会社の中にも廃業に追い込まれたところがあった。勤めていた会社も例外ではない。売上高がピーク時から半減。リストラこそしなかったが給料は上がらなくなり、ボーナスも出なくなった。子育てが一段落した妻はパートに出るようになった。

 そんな時、派遣会社から引き抜きの声が掛かった。資格を持つ現場技術者が好待遇を条件に、引き抜かれているという話は同僚の間でうわさになっていた。

 給料は今より2割上がる。生活はずいぶんと楽になるし、妻に苦労をかけたくもなかった。「会社が変わっても同じものづくりができる」。自問自答を繰り返したが、転職は決断できなかった。お世話になった会社への恩があったからだ。

 地元の近くには工業高校が数校あり、生徒数はこの数年で2割程度増えている。ただ建設業界に入るのは4分の1程度にとどまり、地元に残る人数も半分という。「いかに業界の待遇と働く環境を良くして、入職者を増やすか」。同僚と飲むと決まって、担い手確保の話になる。

 もうひとつ話題になるのが相次ぐ大規模自然災害だ。幸いこの町では大きな自然災害に見舞われたことはない。それでも人ごとではない。「自分たちでちゃんと対応できるのだろうか」。ニュースで流れる衝撃的な映像を見るたびに不安に襲われる。

 この町は自分たちが守る。そんな「地域の守り手」としての自負がある。お世話になった会社、育んでくれた町に恩返しをという気持ちを抱きながら、今日もものづくりの現場に向かう。

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