2016年3月7日月曜日

【駆け出しのころ】東洋建設取締役常務執行役員建築事業本部長・平田浩美氏

◇プライドを持って仕事を◇

 大学で建築学科に進んだのは、建設会社で働いているおじの影響でした。おじは土木技術者でしたが、私は建築の方が格好良いと思い、こちらを選びました。東洋建設のことは、大学4年の時に就職担当の先生が教えてくれました。

 関西で働きたいという希望がありましたので、本店が大阪ということにも魅力を感じました。東洋建設で働いている大学の先輩を訪問し、良い会社だと勧められたことで最終的に決めました。

 入社当時は、東洋建設が建築事業を始めたころです。建築の新卒採用は私が3期目で、先輩は7人しかいません。売上高も40億~50億円規模で現場も少なく、東京でしか工事をしていませんでした。このため、最初の配属先は東京本社です。そこで一つ上の先輩に、積算のことなどを教えてもらいました。

 現場に出たのは2年半ほどしてからです。初めはマンションの建設現場でした。海上や陸上の土木のことは分かる人がいても、建築のことは誰も分かりません。どうしていいか分からない中で、必死に進めました。

 ただ、毎日がとにかく面白かったことが印象に残っています。今は、現場の土曜閉所が推進されていますが、当時は土曜の出勤は当たり前。日曜も月の半分は出勤していました。現場に配属されて3カ月間休みなく仕事をしていたら、人事担当者から休みなさいと言われたのを覚えています。

 ある自治体から受注した公共施設の工事でこんな経験をしました。発注者が示した参考数量で工事の準備をしていました。ところが現場に入って実行予算を組む段になって、型枠が5000平方メートルも足りないことが判明したのです。金額にすると3000万円足りない計算です。それでも、仮設計画の見直しやさまざまな工夫で何とか最終的には利益を出すことができました。

 入社後10年で建築事業の売上高が1000億円を突破しました。一つ現場が終わるとすぐに次の現場が待っている状況です。新しい現場へ行くたび、異なる会社出身の所長と一緒になりました。建物を造るという点では同じですが、それぞれ現場の進め方が違います。各所長の良いところを吸収し、いろいろなことを学ばせてもらいました。

 3カ所目の現場からは自分で所長を務めるようになりました。まだ27歳です。安全、工程、品質、お金のことすべてに責任があり、トップとナンバー2とでは全然違います。現場の大小にかかわらず、人の上に立つのは大変だと実感しました。

 現場は、段取り・手配・確認が大切です。段取りが緻密で正しければ、後は楽になります。建物を造り、人の役に立つ。こんなに面白い仕事はありません。顧客や設計会社の意向に沿わないといけないこともありますが、若い人にはプライドを持って仕事をしてほしいと思います。

 (ひらた・ひろみ)1979年京大工学部卒、東洋建設入社。建築事業本部建築部建築部長、執行役員大阪本店建築事業統括、常務執行役員建築事業本部長などを経て、14年6月から現職。広島県出身、58歳。
入社当時の社内報。
「学生時代は誘われると断ったことがない」ほど友達づきあいが良かったという

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