2022年3月14日月曜日

【駆け出しのころ】熊谷組執行役員設計本部長・平野譲氏

  ◇正々堂々と時代を切り開く◇

 もともとは文系で歴史の先生を目指していました。自分の好きな本や音楽を創作していた人たちが建築に何かしら関わっていたことを高校3年生ごろに知り、思い切って理系に転進します。大学3年生の時、1カ月ほどの実習でプレゼンテーションの資料作成などを手伝わせてもらったのが縁で、当社に入りました。

 20代は建築設計について迷い、何が良いのか模索した時期。転機になったのは、入社4年目に携わった仙台でも格式高い総合宴会施設の設計です。

 オーナーは地元の名士で個性的な方でした。こだわりが強く、私は現場にも常駐し、竣工まで事業に携わりました。工事が始まる前には、オーナーが設計担当者と現場関係者ら10人ほどを香港に連れ出し、現地の建物や街などを巡りながら施設づくりの考えや思いを伝えました。竣工後にはそれまでの取り組みをリポートとしてまとめ、オーナーに提出。周りの同期がみんな院卒だったこともあり、大卒だった自分の中では修士論文のような思いで書き上げました。

 オーナーとの日々の打ち合わせなどで学んだのは、いろいろな立場からさまざまな目線で物事を見ること。レストラン一つとっても料理を作る人、食べる人、掃除をする人など、さまざまな人たちが施設と関わります。デザインや機能など施設に求められるものもそれぞれ違ってきます。多様な見方はいま後進へ伝えることにつながります。

 30代後半に携わった斎場の設計業務は、思い出深い案件の一つ。自分の中でコンセプトをまとめ、立面図はダメ出しされ続けて100枚ほど描いたと思います。夏休み中も自宅にこもって考えましたが、休暇明けの前日になってもできず、会社をもう1日休んで何とか形にすることができました。人々の悲しみに寄り添う施設であり、建築デザインが主張するのではなく、地域に溶け込み寄り添う建築に心を砕きました。

 建築の意匠は人と人を結び付け、構造は人の安心を保ち、設備は人の命をつなぐという大きなマインドがあります。設計者にとっては肩書やポジションよりも、いろいろな人たちと対話しこうしたマインドを持つことが大切です。周囲とつながりを持ちながら、みんなの中で組み合わせていくのが設計の仕事の醍醐味(だいごみ)だと思います。

 好きなこと、やりたいことよりも、正しいところに真実があるのではないでしょうか。正しさの価値観も不変ではありませんが、正しいことを見つけていく姿勢は持ち続けたいです。好き嫌いとかを超越して納得できる価値観。若手には新しい価値観で正々堂々と時代を切り開いてほしいと思っています。

入社7年目、休暇で訪れた野外博物館の明治村で

 (ひらの・ゆずる)1986年日本大学生産工学部建築工学科卒、熊谷組入社。建築事業本部設計本部設計第1部長、同設計本部長(現任)などを経て、2019年から現職。愛知県出身、59歳。

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