2022年3月16日水曜日

【五輪の夢追うアスリート】大建工業、スケルトン・高橋弘篤選手の競技活動を支援

スケルトン競技中の高橋選手。現実離れしたスピードでタイムを競う(高橋選手提供)

  大建工業が、2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪の出場を目指すアスリートを支援している。氷上コースをそりで滑走するスケルトン競技で活躍してきた高橋弘篤選手(37)は、冬期五輪に二度出場している国内トップ選手。この4年間でさらに能力を高めると同時に、スケルトン競技の世界を盛り上げることを目標に掲げる。夢を追い続ける姿から見えてくるのは--。

 大建工業、スケルトン競技・高橋弘篤選手の挑戦後押し

 「寝そべった状態で頭から突っ込み、現実離れしたスピードで100分の1秒を争う。『なんだこれは』という非日常感と、細かいコントロールを必要とする緻密な部分がある。自分と向き合いながらトライ・アンド・エラーできる」。スケルトンの魅力を高橋選手はこう説明する。

 高橋選手がスケルトンと出会ったのは、体育系総合大学の仙台大学でボブスレー・リュージュ・スケルトン部に入ったのがきっかけだ。卒業後はクラブチームに所属し、14年ソチ冬季五輪で12位の成績を収めた。だが所属チームの解散が決まり、選手人生は岐路に立たされる。ワールドカップなどに毎年参加して好成績を残さなければ、五輪に出場できない。なんとか競技を続けたいという熱意で、スポンサー探しに奔走した。そこで出会ったのが大建工業だった。

 同社は16年に高橋選手とスポンサー契約し、活動資金を支援し続けている。小谷哲也広報部次長兼広報室室長は「広告塔としてPRしてもらっているが、それだけではない。スポーツは見る人が勇気をもらえる。国と国とのつながりもできていく。そうした社会貢献がこれから大事になる」と話す。ESG(環境・社会・企業統治)やSDGs(持続可能な開発目標)ともつながる。

 同社の支援を得て18年の平昌冬季五輪にも出場。日本人選手で最高の22位に入り、高橋選手は「感謝の気持ちでいっぱいだった」と当時の心境を振り返る。ただ競技を取り巻く環境は厳しい。長野市にある唯一の競技施設は、維持管理コストの負担を理由に18年から冬季の製氷を休止。氷上での滑走練習が国内ではできない。2月の北京冬季五輪は日本としての出場枠を逃した。

レースはスタートダッシも重要なポイントになる(高橋選手提供)

 「悔しい思いはある」と高橋選手。ただ「モチベーションが落ちることはない。次はどうしようというわくわくしかない」とあくまで前向きだ。目指す先にあるのは、26年にイタリアで開催されるミラノ・コルティナ冬季五輪。高橋選手は「次こそ絶対に行ける。必ずたどり着くというマインドが強くある。4年後にどうなっているべきか。そこから逆算して、1年1年をしっかりとクリアしていく」と決意を新たにする。「(五輪で)結果も出すし、皆にも知ってもらうという信念を持って活動していく」とも。「壁にぶつかってもポジティブになれる力がある。本当にすごい。頑張ってほしい」と小谷氏もエールを送る。

 スケルトンの魅力をできるだけ多くの人に知ってもらうのも大きな目標だ。

 「競技の発展と普及のどちらも目指したい。過去に日本は世界トップクラスだった。返り咲くことは難しくない」(高橋選手)

高橋選手㊧と小谷広報部次長兼広報室室長

 スケルトンは体格が大きく体力があれば勝てるという単純な競技ではない。一瞬の判断でそりを操作し、100分の1秒、1000分の1秒を削っていく。求められるのは「真面目さや集中力、細やかさ」(高橋選手)だ。

 30年冬季五輪には、札幌市が招致に名乗りを上げている。国内開催で日本人選手が活躍すればスケルトン競技も脚光を浴びる。小谷氏は「非住宅分野で認知度を上げようと頑張ってきた当社と共通するところがある。マイナースポーツがどんどんメジャーになるようなサクセスストーリーを見てみたい。引き続き支援していきたい」と高橋選手の活躍とスケルトン競技の盛り上がりに期待する。

 夢に向かって羽ばたいていけるか、高橋選手と同社の挑戦は続く。

 □スケルトンとは□

 氷で作られた全長1300~1500メートルのコースを鉄製のそりで滑り、タイムを競う。進行方向に頭を向けうつぶせで滑走。最高速度は時速120キロを超えるケースもある。ランナー(滑走部)と選手が体を預けるシャシー(本体)というシンプルなそりでタイムを競う。02年のソルトレークシティー冬季五輪以降、正式種目となっている。

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